人は30歳には死んで、
70歳で埋葬されると言われている。
死は非常に早くに起きる。
私が思うに30歳というのも正しくはなく、
死はそれよりも早く大体21歳ごろ、
つまり法律と国があなたを市民だと認めるとき、
それが人が死ぬ瞬間だ。
実のところそれが、
彼らがあなたを市民だと認めた理由なのだ。
あなたはもはや危険ではない、
もう野生ではない、
あなたはもうまっさらではないのだ。
あなたの中ではすべてがきちんと収まって、
(社会的常識で)整えられ、
すっかり社会に適合している。
それこそが、
国があなたに投票権を与える時だという意味だ。
国はもう、あなたの知性が破壊されたことを知っており、
あなたについて怖れることはもう何もない。
私自身の観察によれば、人は大体21歳くらいで死ぬ。
その後は何があろうとも、
ただ死後の存在であるに過ぎない。
定義によれば、機知に富んだ人とは、
困難から脱け出す方法を知っている人であり、
賢者とは、決して困難に足を踏み入れない方法を
知っている人のことだ。
だから賢くありなさい。
(自分を困難に引き止める)根そのものを、
なぜ切ってしまわないのか?
そのためには信じないことだ。
そうすれば不信という問題はない。
そうなれば二元性は決して現れないし、
そこから脱け出す必要もない。
どうかそこへ入っていかないように。
真実は個人のものだ。
そして群集は、真実などそんなものはどうだっていい。
群集が気にかけているのは慰めであり、安楽なのだ。
群集とは、探求者や冒険者、
また未知へと大胆に踏み込む者たち、
つまり自分の生涯を賭けて自分の人生と、
存在の意味や意義を見出そうとする人々から
成っているのではない。
群集はただ耳ざわりのいい、
居心地のいい、甘い言葉を聞きたいだけなのだ。
そうすれば自分からどんな努力をする必要もなく、
そうした慰めという嘘の中で寛ぐことができるからだ。
1970年のことだった。
そこには私の恩師の1人で、
いつも非常に愛に満ちた関係にあった人が
死の床についていた。
だから私が最初にしたことは彼の家へ行くことだった。
彼の息子は私を玄関で迎えて言った。
「 父にはもう死が迫っています。
ですからどうか父の気持ちを動揺させないでください。
父はあなたを愛していたので、
何度もあなたのことを 思いだしていました。
今あなたが父に会えば、あなたの存在そのものが、
父の信じている慰めをなくしてしまうと、
私たちにはわかっています。
父はもう死にかけているのですから、
そんなことをしないでください 」
私は言った。
「 これがもうじき死ぬというのでなければ、
私はあなたの言うことを聞いたでしょう。
でも私は彼に会わねばならない。
(彼の信じている) 嘘や慰めを取り去るのが
たとえ死の直前であったとしても、
(その結果)彼の死は
彼の人生よりも大きな価値を持つことになるのです」
私は立ちはだかる息子を押しやって家に入ると、
老人は目を開け、私を見て微笑んだ。
「 あなたのことを思い出していたよ。
でも怖れてもいたんだ。
あなたがこの町に来ると聞いて、もしかすると死ぬ前に、
もう1度あなたに会えるかもしれないと思った。
でも本当はすごく怖かった。
あなたと会うのは危険なことになりかねないからね!」
私は言った。
「 確かに危険なことになるでしょうが、
私はちょうどいい時に来ました。
私はあなたが死ぬ前に、
あなたのあらゆる慰めを取り去ってしまいたいのです。
その結果、あなたが無垢な死を迎えることができれば、
その死は途方もなく素晴らしい価値を持つものになり
ます」
「 あなたの知識をすべて脇へどけてください。
それはすべて借り物です。
あなたの神を脇へどけてください。
それはただの信念で、それ以上の何ものでもありません。
天国や地獄という観念を、すべて脇へどけることです。
それはあなたの貪欲さと恐怖に過ぎないのです。
あなたは一生を、
こうしたことにしがみついて生きてきました。
だが少なくとも死ぬ前は、
すべてを捨てる勇気を出してください。
もう失うものは何もないのですよ!」
「 死んでいく人には、もう失うものは何もありません。
死がすべてを打ち砕いてしまうからです。
(何かにすがりつくよりも)
自分の手であらゆる慰めを落とし、
(これから始まる世界へ向けて)
驚異と探求に満ち満ちて、
無垢なままで死んでいった方がいい。
そして死は、
(人生の最後に訪れる)究極の体験なのです。
それはまさに(締めくくりとも言うべき)絶頂なのです」
老人は言った。
「 あなたはまさに、私が怖れていたことを要求している。
私は一生を、神を崇拝しながら生きてきた。
それをただの仮説だと知りながらね。
それなのに私は、ただの1度でも
神を体験したことはなかった。
空に向かって祈ってきたが、
どんな祈りも聞き入れられたことなどない。
それを聞き届けてくれる存在などないと
分かっているんだ。
しかしそれはそれで、
人生の苦しみや不安の中で慰めになってきた。
無力な人間に、それ以上何ができるだろう?」
私は言った。
「 あなたはもう無力ではない。
今はもう不安も苦しみも、どんな問題もない。
それらのすべてはこの世のことです。
多分、あと数分はまだこちらの岸に留まりますが、
勇気を出して(向こうへ渡る準備をし)、
彼は目を閉じると言った。
「ベストを尽くすよ」
部屋には彼の家族全員が集まっており、
彼らはみな私に腹を立てていた。
彼らは、とても保守的な高い身分のカースト・
バラモン(司祭階級)であり、
老人が私に同意したことが信じられなかった。
彼にとって死のショックはあまりにも大きかったので、
それが彼が持ち続けてきた
あらゆる嘘を打ち砕いてしまったのだ。
生きている間は、
嘘だと知りながらもそれを信じ続けることもできる。
しかし死に直面すると、
紙で作った舟に乗って海は渡れないと
完璧に知ることになる。
あなたは自力で泳がなければならない。
そして舟など存在しないと知っておくべきだ。
紙の舟にしがみつくのはもっと危険で、
それはあなたが泳ぐ邪魔になる。
あなたを向こう岸へ連れて行く代わりに、
溺れる原因になるだろう。
彼らはみんな私に怒っていたが、何も言えなかった。
老人は目を閉じたまま、微笑んだ。
「 あなたの話を1度も聞かないでいたのは不運だった。
今はすごく軽くて、すっかり重荷が下りたような感じだ。
恐れはまったくなくなったよ。
それだけじゃなくて、死ぬことに興味も出てきた。
死の神秘とは何なのか見てみたいよ」
そして彼は死んだ。
笑みを浮かべたままで。
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