2021年12月18日

OSHOの講話 44


毎日自分自身への気づきのために

OSHO禅タロットを1枚引いています。


今日の1枚は

「罪悪感」



C8.jpg


このカード

いろんな思いにとらわれ

自分に取り込みすぎ

行き詰ってて

ヒステリックで・・・

という中央の女性にくぎ付けになるのですが

グレーにうずまく雲の上には

小花が咲き乱れた、

薄桃色まじりの空があります。


できることなら現れてほしくないな~

と、人情としては感じるカードの1枚


見た瞬間は

「お、意外だな?」

と。


雲の上のように晴れてるのか


または


囚われに慣れすぎて鈍いのか

深いところにあるものが

浮かび上がってくるのか


どっちかな~とね。


今日どのような出会い、

どのような気づきへと

つながるのかな、と軽めにうけとっております。


今日現れたOSHOの講話も

エールのようにシンクロしているので

ここにシェアします。

ーーー

唯一の問題は

いかにして心配をやめ、

いかにして生き始めるかだ。

生きる人になって、

物事をただなるままに

任せなさい。

受け容れなさい。

心配するあなたは何者か。

あなたは生まれたのだ。

生まれたいかどうかなど、

誰にも聞かれはしなかった。

そうでなければ、

あなたはそこで行き詰っていただろう。

あなたには何一つ決定など

できないからだ。

あなたは煮え切らない。

もしあなたが訊かれていたら、

もし質問する神がそこにいたら、

あなたは生まれるべきか否かを

永久に決められずに

いたことだろう。

だが神はもしあなたが

訊かれていたら、

もし質問する神がそこにいたら、

あなたは生まれるべきか否かを

永久に決められずに

いたことだろう。

だが神は決して

そんな間違いを犯さなかった。

あなたはそこで

行き詰まるに違いない

ことを知っていたからだ。

神は許可など求めずに、

あなたを突然

この世に投げ込んだ。

でなければ、あなたは

ここにいなかったはずだ。

そして、もし

神が死について尋ねれば、

あなたはやっぱり

行き詰まるだろう。

神は決して尋ねたりはしない。

神はただ、

あなたを連れ去るだけだ。

神はあなたのことをよく知っている。

あなたには決められない。

神がやって来て、

「お前はいつ死にたいかね」と

訊いたら、

あなたに決められるだろうか。

土曜日の朝か、それとも

日曜日――駄目だ。

たった七日しかないのに、

それでもあなたには決められない。

それは、

あなたに訊いたりせずに、

やって来なければならない。

生が起こる時、

あなたはいない。

誕生も、

死も、

愛も、

あなたなしに

起こる。

だったら、

何を心配する必要があるか。

源が

誰であろうと

――もしその者に、

あなたに誕生を与え、

死を与えることができるのなら、

創造し破壊することができるなら――


だったら、すべての心配はその者に

させたらいい。

あなたは自分がいる間、

楽しめばいい。

そして、

自分のいる間、

楽しむことができるなら、

突然、

これこそが、


源なのだ、と分かるだろう。


あなたは

「永遠の生」に触れたのだ。

イエスは

「私がここにいるのは、

 あなたたちに有り余る生を

 無限に豊かな生を教えるためだ」

と言う。

そして、

その道とは

成るに任せることだ。

出しゃばってはいけない。

自分の道を

邪魔してはいけない。

あなたの道、

タオに流れさせなさい。

どこであれ、

自分の本性の

導くままに

任せるのだ。

KIMG7200.JPG
*仲冬十六夜のお月様

posted by TARA at 13:52| Comment(0) | OSHOの講話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年11月24日

OSHOの講話 43(追:21と同じ内容でした❣ 22.11.23)

雨が続いて寒さがすこしずつ本格的になっています。

昨日は勤労感謝の日で大嘗祭。

このころの早朝の道はうっすら凍ってたりすることもある時期に。


我が家から車で30分くらい登ったところ

小田深山スキー場には雪が舞ってて、

今朝の風景はこんなだったそう。

1124スキー場の風景.jpg

日中の温度が上がらないはず。

冬は、雪で外出不可になることもある処に住んでいます。


いつでも・好きなところに・好きなように

好きな方法でできたらストレスフリーですが、

本当の自由さとは

全く関係がないということを

今日FBのタイムラインに上がってきた講話が

伝えてくれました^人^





自由が生の目的地だ。

自由がなかったら、

生にはいっさいの意味がない。

だが、

この「自由」は、

いかなる政治的、

社会的、経済的な自由をも

意味するものではない。

この「自由」は、

時間からの自由、

マインドからの自由、

欲望からの自由をさしている。

マインドがなくなる瞬間、

あなたは宇宙とひとつになる。

宇宙そのものと同じだけ

広大になる。

あなたと真実との間にある

障壁はマインドだ。

この障壁ゆえにあなたは、

かつて一度も

光が差したことのない、

一度も喜びが浸透したことのない

独房に監禁されている。

あなたが惨めさのなかに

生きているのは、

人がそういった小さな、

狭苦しい空間に

生きるようには

できていないからだ。

あなたの存在は、

森羅万象の

まさに究極の源泉にまで

延び拡がりたい。

あなたの存在は

大洋のようになりたいと

思いこがれているのに、

あなたは

ただの水滴になっている。

どうして

幸福でいられるだろう?

どうして

至福に満ちることが

できるだろう?

人が惨めさのなかを

生きるのは、

かれが囚われの生を

生きているからだ。

ゴータマ・ブッダはいう、

タンハー、

すなわち欲望こそ

すべての惨めさの根本原因だ、

と。

なぜなら、

欲望はマインドを

生じさせるからだ。

欲望とは

未来をつくりだすこと、

自分を未来に投影し、

明日を持ち込むことだ。

明日を持ち込めば、

今日は消え失せる。

それは

どこにも見つからなくなる。

あなたの眼は、

明日によって

曇らされてしまう。

明日を持ち込むなら、

昨日の重荷すべてを

持ち歩かなければならない。

なぜなら、

明日は昨日から

滋養をあたえられつづけて

はじめて存在できるからだ。

どの欲望も過去から生まれ、

そのひとつ一つが

未来に投影される。

過去と未来、

それがあなたの

マインド全体を

つくりあげている。

マインドを分析し、

分類したら、

そこに見いだされるのは

ただふたつのもの、


過去と未来だ。

一かけらの現在すら、

原子には

どの現在も見つからない。

ところが、

この現在こそが

ただひとつの真実、

ただひとつの実存であり、

存在する唯一のダンスだ。

マインドが

すっかり止んだそのとき、

はじめて現在が見いだされる。

過去がもはや

あなたを圧倒せず、

未来がもはや

あなたを占有しないとき、

あなたが記憶と空想から

切り離されているとき、

その瞬間、

あなたはどこにいるだろう?

あなたははだれだろう?

その瞬間、

あなたはだれでもない。

そして、

あなたがだれでもないとき、

だれもあなたを

傷つけることが出来ない。

あなたが

痛手を負うことなど

ありえない。

というのも、

自我というのは

いつでも

傷つく態勢にあるからだ。

自我はみずから求めて

痛手を負おうとしている

といってよい。

自我は

痛手を通して存在する。

惨めさと苦痛があって

はじめて

存在することができる。

あなたが

だれでもなかったら、

苦悩はありえない。

不安などありうべくもない。

あなたがだれでもなかったら、

そこにはただ

大いなる静寂、静謐があり、

内には微かな騒音すらない。

過去は去り、

未来は消滅している。

騒音をつくりだす

なにがあるだろう?

聞こえてくる沈黙は

天上のもの、

聖なるものだ。

いまはじめてあなたは、

この無心の空間において、

果てしなくつづく

永遠の祝祭に気づく。

それこそまさに

森羅万象を形作っているものだ。

人間をのぞけば、

全存在が至福に満ちている。

ただ人間だけが

その外に落ちて、

道に迷っている。

それは人間しか起らない。

なぜなら、

人間には意識があるからだ。


Osho - Dhammapada

posted by TARA at 17:28| Comment(0) | OSHOの講話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年07月18日

OSHOの講話 42

ここ数日、梅雨が明けそうであけません。

予報は全くあてにならず

今日はどんどん台風のような大荒れに。


KIMG5827.JPG

*しばし暴風雨になる

避難勧告の

Jアラートが最初に鳴った時は

一番雨量が多い時だったから

一瞬ひるむ。

嫌な予感はないのだけど、

なんだか怖いな。と。



タロットを引いてみたら


飛んで出たカードは

「完成」

完成714.jpg

引いたカードは

「存在」

存在813forタロット.jpg


でした。



もう恐れからの

無意識の心配をやめるとき。

存在全体は

ただありのままある。



怖さは、生存本能として必要な

安全装置。

とはいえ

不要に怖がり続ける必要もない。

カードが差すものの

大きさに

怖さもすっと引いて

大雨や雷光の動画をとろうと

いろいろチャレンジしてみたり。


Jアラートや放送が淡々と

避難を半強制するものより、

沖縄で

台風をみんなで宴会してやり過ごす

知恵の深さを再び思いました。


そして今は

台風一過のように、

ぴたっと風がやみ、


蝉しぐれや虫の声にとって代わり


生き物は行きかい始めています。


どうやってあの悪天候を逃れてるのだろう・・・?


何事もなかったように

もう通常生活(?)している

その姿のあっぱれさは

すがすがしい。



本日上がってきたOSHOの講話は

今のtaraへ

語ってくれてるようでした。




決断をするなら、

腹を決めることだ。

そうなったら何が起ころうと、

やり遂げるがいい。

そしてやり遂げられたなら、

明晰さが内側に湧き起こり、

雲が消え、

何かが自分の中で根づき、

中心を定めてゆくのが分かる。

決然とした態度を取ることは、

途方もなく重要なことであり

意味がある。

いったん決意したなら、

全身全霊を込めて

実行しなければならない。

『純一なハートで

 決然と実行しなければならない。

 そうすれば成果は求めずとも、

 自ずからやって来る』

最も重要なのは、

成果を求めている者は

すでに分裂しているということだ。

そうなったら、

あなたのハートは働いていない、

すでに成果に目を奪われている。

もしあなたが分裂していたら、

成果はあげられないだろう。

成果があげられるのは、

分裂していないハートだけだ。

ことの成り行きや

結果を気にせず、

旅そのものを

この上もなく楽しみ、

目的地のことなどに

構わずにいられるような・・・

ゴールのことなど

全く気にかけない者だけが

辿り着く・・・。

彼らの精神は

少しも分裂しておらず、

旅の一瞬一瞬が、

旅の一歩一歩が

ゴールになるからだ。

どこにいようと、

自分がいるところがゴールになる。

成果のことなど全く気にかけない、

霊的な道の上にいる人々が

成果をあげる。

成果を気にかけていたら、

成果をあげることは出来ない。

思考が未来のどこかにあって、

あなたは現在で働いていないからだ。

そして仕事が現在において

全一に為されて初めて、

成果をあげることが出来る。

この瞬間が次の瞬間を生んでゆく。

この瞬間が全一に生きられたなら、

次の瞬間は必ずより深い全一性を、

より高い全一性の質を帯びるようになる。

だが人々は分裂したままだ。

この問題は考察するに値する。

なぜなら、

これは人間の問題だからだ。

人は選ばなければならない。

人は決断しなければならない。

人生の旅路を一歩進むごとに、

人は岐路に立たされ、

選ばなければならなくなる。

全ての道を我がものとすることは

出来ないし、

全ての道を歩くことは

出来ないからだ。

私は物事の善し悪しを

云々しているのではない。

何であれ

全身全霊で選んだものが正しい、

と言っているのだ。

あなたの全一な決断が、

あなたを変容させる。

そのことの方がはるかに重要だ。

それがなかったら

仏陀のような人と共にいても、

あなたが半身に留まり、

分裂しているなら、

何事も起こらない。

いかなる分裂も・・・

未来と現在、

目的地と旅、

この道とあの道・・・

分裂はどれもみな危険だ。

そうなったら、

あなたのエネルギーは

無駄に費やされる。

私は頭がずる賢く

振る舞いたがるのを知っている。

頭は言う。

「両方とっておけばいいじゃないか。

 何が起こるか分からないぞ。

 どちらも選べるようにしておくんだ。

 こっちが上手くゆかなくても、

 あっちが上手くゆくかもしれない」

だが、

生はそのようには動かない。

成果は求めずとも・・・

なぜなら、

それすらも分裂になるからだ。

分裂せずに、

完全に今ここにあるがいい・・・

成果は、

自ずからやって来る。

そして

成果が自ずからやって来る時、

そこには途方もない美が醸し出される。

成果をたぐり寄せなくても、

それは花のように開く。

花は無理やり咲かせなくてもいい。

無理やり咲かせると死んでしまう。

そういったやり方はよくない。

それに早く咲かせすぎたら、

香りがなくなってしまう。

香りを集め、

香りを作り出す為に、

花は正しい瞬間を

待つ必要があるからだ。

香りの準備が整うと、

初めて花はひとりでに開く。

今や「存在」を分かち合うものを

備えているからだ。

Osho - The Secret Of Secret


posted by TARA at 16:45| Comment(0) | OSHOの講話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする