瞑想の中へ入ってゆくことは、
どこでもないところへ入ってゆくことだ。
それが何の役に立つのだろう?
あなたの手の中に、
触知しうるものは何もない。
自分が成就したことを、
世間に示しうるものは何もない。
世間は、
あなたが何を成就したのかを、
決して知ることがない。
それは、
内なる体験にとどまる・・・
表現しえず、
言語を絶している。
「あなた」だけが知る、
あるいは、
その体験に行き着いた者たちだけが。
彼らはごく少数で、
きわめてまれだ。
世間全体があなたを笑うだろう。
彼らは、
あなたが罠に落ち、
催眠術にかけられ、
自分の生を無駄にしていると思う。
そして、
このように言う人々が
多数派を占めている・・・
彼らはつねに多数派を占めている。
彼らはキリストを笑った、
彼らは老子を笑った、
彼らは仏陀をあざ笑った。
彼らはマハヴィーラに反対した。
彼らは私に反対している。そして彼らは、
あなたにありとあらゆる復讐をする。
彼らは、
あなたが穏やかに生きることを許さない。
これは実に奇妙だ。
仏陀は、
けっして誰をもかき乱そうとしてはいなかった。
彼は、
弟子と共に穏やかに生きることができたはずだ。
が、人々はそれを許そうとしなかった。
イエスは何をしていただろう?
彼は、弟子と共に山に入り、
瞑想し、祈り、神と神の王国について
語ることができたはずだ。
彼が人々に
どんな害を与えていたと言うのだろう?
だが、
彼らは腹を立てていた、
彼らは激怒していた、
彼らはイエスに怒り狂っていた。
彼らはイエスを殺した。
なぜそのようなことが
何度も何度も起こるのだろう?
もしあなたが私と共に在れば、
世界全体が
あなたに反対することになる。
私と共に在ることは危険だ。
それはやさしい選択ではない・・・
あなたは、
世界を向こうにまわして
私を選んでいる。
世界は大きい。
多数派には、
あらゆる種類の権力がある。
そして、
彼らはあなたに反対し、
あなたを破壊したい・・・
あなたは彼らに何もしていないのに。
なぜ彼らはそんなにあわてふためくのだろう?
起こる微妙な現象がある。
誰かが神に向かって動きはじめる瞬間、
ありふれた俗世間に生きている人はみな恐れをなす。
なぜなら、
探求者の現存が、
突然彼らに、自分たちが生を無駄にしてい
ることを感じさせるからだ。
祈り、瞑想する者たちの顔に
突然浮かぶ喜び。
人々の生、
彼らの実存のなかに
突然、ダンス、変化、変容が・・・
その笑い、その愛・・・。
すると、
金や権力を追い求めている者たちは、
自分自身の努力に疑いを持つようになる。
自分たちは何をやっているのだろう?
これでいいのだろうか?と。
大きな疑いが彼らのなかに湧きあがる・・・。
彼らがひどく腹を立てるのはそのためだ。
あなたは彼らの生に疑いをひき起こす。
ところが彼らは、
自分たちの生が正しい生だと確信して生きていた、
その確信は絶対に揺るがなかった。
そこへ仏陀、
あるいはキリストのような人が現われ、
彼の臨在が彼らを揺り起こす。
彼らは二度と強い確信が持てない。
疑いが彼らの実存に入った。
彼らは、
その疑いゆえに怒っている。
さあ、
私のサニヤシンたちは誰にも何もしていない。
あなたは、
彼ら以上に穏やかで、
愛にあふれている人々を見出すことはできない。
彼らは誰にも何の害も及ぼしていない。
だが、
社会はますますあなたがたに
反対することになる。
そして、社会はあらゆる手段を使って
あなたがたを妨害しようとするだろう。
これは奇妙だ、
実に奇妙だ。が、
そこには微妙な論理がある・・・。
つい2,3日前、
マニーシャが質問した。
「Osho 、
クチに移転するという計画は
方便にすぎなかったのでしょうか?」
そうではなかった、
マニーシャ。
私はクチに移転したかった、
すべてが計画されていた。
だが、国の政策によって、
移転することはほとんど不可能になった。
私たちが移転できなかったのは、
モラルジ・デサイの悪意のせいだ。
だが、
私がどこへ行くか、
私の人々がどこへ行くか、
私が何をしているかに、
いったいなぜこの国の首相が
関与しなければならないのか?
私たちはいかなる政策も講じていない・・・
私の人々は
世界でもっとも非政治的な人々だ。
私たちは、
政治はまったく愚劣だと考えている。
だが、
まさにそれが原因だ。
疑いが起こる。
疑惑が起こる。
もし私が正しければ、
そのときには、
彼ら全員が間違っている。
そして、
もしこの考えが広がったら・・・。
それは火のように広がりうる。
真理には潜在能力がある・・・
たとえあなたが
それを磔(はりつけ)にしても、
それは広がる。
イエスは磔によって
破壊されはしなかった。
実のところ、
それは役に立った。
イエスは磔ゆえに、
世界における偉大な力になった。
真理を殺すことはできない。
だが、
遅らせることはできる。
人々はあなたがたに反対するだろう。
だから、
私と共に在るには勇気がいる。
そして、
私はあなたがたに
何ひとつ与えることができない・・・
「無」の他には何も。
一休はまさにそのことを言う。
「私はあなたにすべてを与えたい。
だが、
私たちブッダは『無』の他には
何も持っていない」
私は、
あなたがたに「無」しか
与えることができない・・・
それが私の贈り物だ。
そして、
あなたは自分のすべてを
賭けることになる。
あなたの生命、
あなたの社会的地位、
あなたの家族、
あなたの財力・・・
あなたはすべてを賭けることになる。
「無」のためにすべてを賭けるとは?
あなたは狂っているにちがいない。
Osho - Take It Easy