2021年07月18日

OSHOの講話 42

ここ数日、梅雨が明けそうであけません。

予報は全くあてにならず

今日はどんどん台風のような大荒れに。


KIMG5827.JPG

*しばし暴風雨になる

避難勧告の

Jアラートが最初に鳴った時は

一番雨量が多い時だったから

一瞬ひるむ。

嫌な予感はないのだけど、

なんだか怖いな。と。



タロットを引いてみたら


飛んで出たカードは

「完成」

完成714.jpg

引いたカードは

「存在」

存在813forタロット.jpg


でした。



もう恐れからの

無意識の心配をやめるとき。

存在全体は

ただありのままある。



怖さは、生存本能として必要な

安全装置。

とはいえ

不要に怖がり続ける必要もない。

カードが差すものの

大きさに

怖さもすっと引いて

大雨や雷光の動画をとろうと

いろいろチャレンジしてみたり。


Jアラートや放送が淡々と

避難を半強制するものより、

沖縄で

台風をみんなで宴会してやり過ごす

知恵の深さを再び思いました。


そして今は

台風一過のように、

ぴたっと風がやみ、


蝉しぐれや虫の声にとって代わり


生き物は行きかい始めています。


どうやってあの悪天候を逃れてるのだろう・・・?


何事もなかったように

もう通常生活(?)している

その姿のあっぱれさは

すがすがしい。



本日上がってきたOSHOの講話は

今のtaraへ

語ってくれてるようでした。




決断をするなら、

腹を決めることだ。

そうなったら何が起ころうと、

やり遂げるがいい。

そしてやり遂げられたなら、

明晰さが内側に湧き起こり、

雲が消え、

何かが自分の中で根づき、

中心を定めてゆくのが分かる。

決然とした態度を取ることは、

途方もなく重要なことであり

意味がある。

いったん決意したなら、

全身全霊を込めて

実行しなければならない。

『純一なハートで

 決然と実行しなければならない。

 そうすれば成果は求めずとも、

 自ずからやって来る』

最も重要なのは、

成果を求めている者は

すでに分裂しているということだ。

そうなったら、

あなたのハートは働いていない、

すでに成果に目を奪われている。

もしあなたが分裂していたら、

成果はあげられないだろう。

成果があげられるのは、

分裂していないハートだけだ。

ことの成り行きや

結果を気にせず、

旅そのものを

この上もなく楽しみ、

目的地のことなどに

構わずにいられるような・・・

ゴールのことなど

全く気にかけない者だけが

辿り着く・・・。

彼らの精神は

少しも分裂しておらず、

旅の一瞬一瞬が、

旅の一歩一歩が

ゴールになるからだ。

どこにいようと、

自分がいるところがゴールになる。

成果のことなど全く気にかけない、

霊的な道の上にいる人々が

成果をあげる。

成果を気にかけていたら、

成果をあげることは出来ない。

思考が未来のどこかにあって、

あなたは現在で働いていないからだ。

そして仕事が現在において

全一に為されて初めて、

成果をあげることが出来る。

この瞬間が次の瞬間を生んでゆく。

この瞬間が全一に生きられたなら、

次の瞬間は必ずより深い全一性を、

より高い全一性の質を帯びるようになる。

だが人々は分裂したままだ。

この問題は考察するに値する。

なぜなら、

これは人間の問題だからだ。

人は選ばなければならない。

人は決断しなければならない。

人生の旅路を一歩進むごとに、

人は岐路に立たされ、

選ばなければならなくなる。

全ての道を我がものとすることは

出来ないし、

全ての道を歩くことは

出来ないからだ。

私は物事の善し悪しを

云々しているのではない。

何であれ

全身全霊で選んだものが正しい、

と言っているのだ。

あなたの全一な決断が、

あなたを変容させる。

そのことの方がはるかに重要だ。

それがなかったら

仏陀のような人と共にいても、

あなたが半身に留まり、

分裂しているなら、

何事も起こらない。

いかなる分裂も・・・

未来と現在、

目的地と旅、

この道とあの道・・・

分裂はどれもみな危険だ。

そうなったら、

あなたのエネルギーは

無駄に費やされる。

私は頭がずる賢く

振る舞いたがるのを知っている。

頭は言う。

「両方とっておけばいいじゃないか。

 何が起こるか分からないぞ。

 どちらも選べるようにしておくんだ。

 こっちが上手くゆかなくても、

 あっちが上手くゆくかもしれない」

だが、

生はそのようには動かない。

成果は求めずとも・・・

なぜなら、

それすらも分裂になるからだ。

分裂せずに、

完全に今ここにあるがいい・・・

成果は、

自ずからやって来る。

そして

成果が自ずからやって来る時、

そこには途方もない美が醸し出される。

成果をたぐり寄せなくても、

それは花のように開く。

花は無理やり咲かせなくてもいい。

無理やり咲かせると死んでしまう。

そういったやり方はよくない。

それに早く咲かせすぎたら、

香りがなくなってしまう。

香りを集め、

香りを作り出す為に、

花は正しい瞬間を

待つ必要があるからだ。

香りの準備が整うと、

初めて花はひとりでに開く。

今や「存在」を分かち合うものを

備えているからだ。

Osho - The Secret Of Secret


posted by TARA at 16:45| Comment(0) | OSHOの講話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年06月03日

OSHOの講話 40


マヤの叡智の暦【ツォルキン】では

6月2日は

KIN170白い磁気の犬の日

KIN170.png

白い犬の13日間になりました。

どの紋章も好きですが

白い犬は別格に好きな紋章。

キーワードは

【 ハート・愛する・忠実 】

愛する

というのは行為ですので

無欲のようであっても

自分がいる限り

どこまでいっても自分のため・・・



無力感というか

方向が間違ってるような気がすること

あります・・・



名詞だと

自分だけでなく

パートナーから宇宙まで

その状態・雰囲気が

無限に広がっているイメージも

浮かんできます。

愛とは・・・

いろんな例えがありますが

6月2日の朝に出会った講話です。


ーーー


世の中で最も柔らかいものと

いうのは何だろう?

外側の世界において

最も柔らかいものは水だ。

内側の世界で

最も柔らかいものは愛だ。

そして水と愛の二つは

数え切れないたくさんの点で

似通っている。

それらが理解されねばならない。

水はくぼんだ場所を

求めていく。

愛もまたくぼんだ場所を

探し求める。

もしあなたがエゴイストだったら

愛はあなたに

達することができない。

それというのも

あなたが自我の頂点、

一つの絶頂だからだ。

あなたはあまりにも

自分自身でいっぱいに

なっていると、

愛はあなたにまで

達することができない。

愛はあなたがひとつの『空』、

何一つ邪魔のないひとつの

スペースであることを必要とする。

水もまたくぼんだ場所を

探し求める。

そうやって、

それはヒマラヤから発し、

どこまでもどこまでもどこまでも

それが海にたどり着くまで

進んでいくのだ。

海というのは

世界で最もくぼんだ場所だ。

水がそこに到達するのは

そういうわけなのだ。

川はエベレストに

向かってはいけない。

それはヒマラヤの最高峰に

向かっていくわけにはいかない。

ちょうどその反対の事が起こる。

川はヒマラヤの最高峰で、

氷河の中で生まれ、

そしてどんどんと低く低く低く

流れていき、

それが世界で最もくぼんだ、

最も低い場所である海に

たどり着くまで止まらない。

その海が川の我が家となる。

愛もまた虚ろさ、

空っぽさへ向かって動いていく。

エゴイスティックな人たちが

愛せず、

そして愛されることも

できないのはそのためだ。

彼らは多くを望む。

彼らは愛を求める。

彼らは愛を得るために、

必要なことは

何から何までやってのける。

ところが彼らは

失敗者のままだ。

彼らは完全に失敗する。

というのも

肝心なことはどうやって

愛を得るかということでは

ないからだ。

ポイントはいかにして、

虚ろになるかなのだ。

愛というものは、

直接的に求められるべきではない。

直接的には追い求められない。

ただ非直接的にのみ、

あなたはそれに対して

『有効』になる。

あなたは

ただ虚ろになるだけでいい。

するとどうなるだろう。

千と一つの流れが

あなたの中に向かって流れ始める。

見ず知らずの人たちが

あなたに

恋をするに違いない。

人間ばかりではない。

星たちも、石たちも、

空も、海も、樹々も、鳥たちも

どこであれあなたが行くところ、

突如として

愛があなたに向かって、

流れ始めることだろう。

それは愛が

水のようなものであるからだ。

それは休むことのできる

くぼんだ場所を探し求める。

あなたが一本の樹のそばを

通り過ぎる…

もしあなたがくぼんでいたら

不意に愛があなたに

向かって流れ始めるだろう。

それは自然なことだ。

それは何も奇跡のような

ものではない。

それはちょうど

水のようなものなのだ。

水を流せば

それは休むための

一番くぼんだ場所を

見つけ出すだろう。

愛は内なる実存の水なのだ。

Osho

posted by TARA at 23:34| Comment(0) | OSHOの講話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年05月24日

OSHOの講話 39

五月晴れが続かない5月

例年より20日も早い梅雨入りの

久々の晴れた日。

夕方のまこも田についたら

夕日は沈んでいたけれど

水鏡が
周りを映していました。

KIMG5150.JPG

いろんな形をしていた雲

夕映え

山の木々

活着したまこも

蛙たちが歌ってる声も

自然の中に溶けて

調和していました

その翌日=今朝

あがってきた講話です。

ーーー


神は人物では全くない。

神は存在の究極のハーモニーだ。

覚えておきなさい。

そのハーモニー、

調和、音楽、旋律、

はるか遠くからの

カッコウの呼び声を・・・

そして、

その中に神々しさがある。

この鳥の呼び声・・

その中に神々しさがある。

あなた方全員が溺れている、

ここのこの沈黙・・・

その中に神々しさがある。

神々しさは、

確かに存在する。


私は、H・G・ウェルズに

完全に同意する。

彼は仏陀について、

かつてないほど

もっとも深遠な声明を出した。

仏陀は、

かつて

地上を歩いた人物の中で、

もっとも

神のようでなく、

それでいて

もっとも神のような人物だ、

と彼は言った。

もっとも

神のようでなく、

それでいて

もっとも神のような?

その通りだ、

それが存在のありようだ。

それは神のない存在だ。

が、

途方もなく神のようだ。

神々しさを

覚えておかなければならない。

神は忘れ去られねばならない。

神を覚えていたら、

あなたは教会や寺院やモスクに行って、

何世紀にもわたってなされて来た

あらゆる種類の

愚かなことをやるだろう。

神々しさを覚えていたら、

カーバ神殿や

カシ(ヴァラナシ)に行くことはない。

それを生きるかどうかだ。

そうなったら、

神々しい生き方をするがいい。

調和して生きるがいい。

美しく生きるがいい。

美的に生きるがいい。

感受性豊かに生きるがいい。

愛に溢れて生きるがいい。

あなたの生を、

途方もない恋愛にするがいい。

そうすれば、

祈りは必要ない。

それを聞く者が誰もいないからだ。

ことは祈りではなく、

瞑想だ。

神に求めてばかりいてはいけない。

あなたは時間を無駄にしている。

沈黙し、

もっともっと沈黙し、

その沈黙から生きるがいい。

その沈黙から行動するがいい。

深い敬意を持って、

人々と、

動物と、

木と、

岩と会うがいい。

全てが神性だからだ。

存在は、

神以外の何ものでもない。

存在は、

神と同義だ。


Osho - The Dhammapada

posted by TARA at 18:53| Comment(0) | OSHOの講話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする