2012年から9年目になりました^人^
年数だけがすぎてきてる感じもします。
向かうところにないどこかを
まだ目指してる。。。
これを通過しながら
起きることを
そのままに
海岸に向かう・・・
風の時代といわれるようになり、
マインドフルネスという言葉があり、
瞑想の時代になってきています。
OSHOの講話を
久々にシェアします。
ーーー
惨めさに才能は必要ない。
だれでもそれを手に入れられる。
幸福には才能、
天分、
創造性が必要だ。
創造的な人たちだけが幸福だ。
これを
あなたのハートのなかに
深く沈み込ませなさい。
創造的な人たちだけが幸福だ。
幸福は創造性の副産物だ。
なにかを創造すれば、
あなたは幸福になる。
庭をつくり、
その庭に花を咲かせれば、
あなたのなかでなにかが花開く。
絵を描けば、
その絵が育っていくにつれ、
あなたのなかで
なにかが育ちはじめる。
その絵が完成にいたると、
その絵に
最後の一筆を加えていると、
あなたは自分がもはや
同じ人間ではないことに気がつく。
あなたは自分のなかの
なにかとても新しいものに
最後の一筆を加えている。
詩をつくり、
歌をうたい、
ダンスを踊り、
そして見なさい。
あなたは幸せになっていく。
実在はあなたに
創造的になる機会を与えただけだ。
生は創造的になる機会だ。
あなたが創造的なら、
あなたは幸福になる。
あなたが
山々の最高の頂に登ろうとしたら、
それは困難を伴う。
そして
あなたが頂上に到達し、
横になって、
雲とささやきを交わし、
大空を見つめるとき、
あなたのハートを満たす歓び、
そのような歓びが必ずやって来る、
あなたがなんらかの
創造性の頂に
到達したときにはいつも。
幸福になるには知性が必要だ、
そして人びとは
非知性的でいなさいと教えられる。
社会は
知性が花開くことを望まない。
社会は
知性を必要としない。
実のところ、
社会は
知性を大いに恐れている。
社会は愚かな人びとを
必要としている。
なぜだろう?
愚かな人びとは扱いやすいからだ。
知性的な人びとは
必ずしも従順ではない。
彼らは従うかもしれない、
彼らは従わないかもしれない。
だが、
愚かな人は逆らうことができない。
彼はいつでも
命令を聞こうとしている。
愚かな人には
命令してくれる人が必要だ、
なぜなら、
彼には自分ひとりで生きていく
知性がないからだ。
彼はだれかに指図してもらいたい。
彼は自分自身の圧制者を
探し求めている。
政治家たちは
世界に
知性が生まれることを望まない、
聖職者たちは
世界に
知性が生まれることを望まない、
将軍たちは
世界に
知性が生まれることを望まない。
だれも本気で
それを望んではいない。
人びとはみんな
愚かなままでいてほしい、
そうしたら
だれもが従順になり、
体制に順応的になり、
囲いの外にけっして出ず、
つねに群衆のひとりでいて、
支配されやすく、
操作されやすく、
管理されやすい。
知性的な人は反逆的だ。
知性は反逆だ。
知性的な人は
ノーと言おうか
イエスと言おうか
自分自身で決める。
知性的な人は
因習的になることができない、
彼は過去を
崇拝しつづけることができない。
過去には
崇拝すべきものはなにもない。
知性的な人は未来を創造したい、
現在に生きたい。
彼は現在に生きることで
未来をつくりだそうとする。
知性的な人は
死んだ過去にしがみつかず、
死骸を持ち歩かない。
それらが
いかに美しかったにせよ、
いかに貴重だったにせよ、
彼は死骸を持ち歩かない。
彼は過去との関係を断った。
それは去った、
永久に去ってしまった。
だが、
愚かな人は因習的だ。
彼は聖職者に喜んで従う、
どんな愚かな政治家にも
喜んで従う、
どんな命令にも喜んで従う。
だれか権威者がいると、
彼は喜んで
その人に従おうとする。
知性がなければ幸福はありえない。
人間は知性的であって初めて、
完全に知性的であって初めて、
幸福になれるのだ。
瞑想は
あなたの知性を解き放つ装置だ。
瞑想的になればなるほど、
あなたはいっそう知性的になる。
だが、
覚えておくこと、
私は知性という言葉で
知識を意味していない。
知識は愚かさの一部だ。
知性はまったく別の現象だ、
それは頭とはなんの関係もない。
知性はあなたの
まさに中心から来るものだ。
それは
あなたのなかにわき上がってきて、
それとともに
あなたのなかで
多くのものが育ちはじめる。
あなたは幸福になる、
あなたは創造的になる、
あなたは反逆的になる、
あなたは冒険的になる、
あなたは
不安定を愛するようになる、
あなたは
未知のなかへ入っていくようになる。
あなたは
危険な生き方をするようになる、
というのも、
それが唯一の生き方だからだ。
愚かな人たちのためには、
群衆が移動する高速道路がある。
そして
何世紀にも何世紀にも渡って、
彼らは移動してきた。
そしてどこにも行き着かない、
堂々巡りをしている。
そのとき、
あなたは自分は
大勢の人たちといるという、
自分はひとりではないという
慰めを得る。
知性はあなたに
ひとりでいる勇気を与える、
知性はあなたに
創造的になるための
洞察力を与える。
創造的になりたいという
大きな衝動、
大きな渇望が起こってくる。
そのとき初めて、
ひとつの結果として、
あなたは
幸福になることができる、
あなたは
至福に満ちることができる。
Osho - The Book of Wisdom
新しい人間には、危険を冒す用意がある。
osho
生の非永遠性と共に生きるには、ガッツがいる。
何故なら、いつも何かが変化し、そのたびにあなたは、
自分を変えなければならないからだ。
人は一定のままでいたがる・・
その方が安全で、安心のように思えるのだ。
古い人間はそうやって生きて来た。
古い人間は、冒険を好まなかった。
その全ての関心は、安全性にあった。
新しい人間は、冒険心を持つことになる。
その関心は安全性にはなく、
関心はエクスタシーにある。
人は「私は知らないが、知ることに関心がある。
私にはどんな次元、
どんな冒険にも入って行く用意がある」
と言えるだけの能力と、勇気を持つことになる。
新しい人間には、危険を冒す用意がある。
古い人間は、非常にビジネスライクで、
危険を冒す用意は全くなかった。
危険とは呪いのことで、
安全こそが古い人間のゴールだったのだ。
だが安全と共に、あなたは死に始める。
生がより高く、より高く
豊かさを増して成長していくのは、
ヒマラヤの幾つもの頂きに届くのは、
冒険、絶えることのない冒険の中でのみだ。
新しい人間は、自然にあるがままの人で、
予測はつかず、新しさを賭け、
ワイルドなこと、型破りのことを
言ったりやったりする危険を、しばしば進んで冒す。
全てが可能で、何でもやってみることが出来る、
ということを信じている。
すでに知られているものには執着せず、
未知のものに、
知ることの出来ないものにさえ、
常に自分を開いたままでいる。
が、理想家ではないから、
どんな未来の為にも犠牲は払わない。
どんな抽象概念、理想、
イデオロギーの為にも、犠牲は払わない。
自分自身の体験を信頼し、
外にある全ての権威に対しては、
深遠なる不信を抱く。
新しい人間は、
自分自身の体験しか信頼しない。
自分で何かを知らない限り、
それを信頼したりはしない。
外にある権威が、
新しい人間の役に立つことなどあり得ない。
「私がそう言うのだから、
あなたは信じなければならない。
私達はいつも信じて来たのだから、
あなたも信じなければならない。
私達の祖先が信じたのだから、
あなたも信じなければならない。
ヴェーダやバイブルに書かれているのだから、
あなたは信じなければならない」
などとは、誰も言えないのだ。
新しい人間は、
そうした馬鹿げたこととは何の関わりもない。
新しい人間は、自分が知って初めて信じる。
これが本当の信頼・・
自分自身の可能性への、
自分自身の潜在能力への信頼だ。
新しい人間は、自分に敬意を払う。
外側にある権威を信じることは、
自分自身の存在に敬意を払わないことだ。
これこそ、私から見れば、
今日起こっているもっとも重要な現象だ。
新しい人間が存在し始めている。
最初の光が、すでに地平線上に現れている。
新しい人間を受け取る準備を整えるがいい。
用意しなさい。
今にもあなたの扉を
ノックしようとしている客を迎える、
主人になるがいい。
そして、それこそがサニヤスとは何かの全てだ。
準備・・新しい人間を受け取る準備を整えることだ。
新しい人間を受け取ることは、大いなる冒険になる。
それには危険も伴う。
というのも、古いものがそれを嫌うからだ。
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