2021年06月03日

OSHOの講話 40


マヤの叡智の暦【ツォルキン】では

6月2日は

KIN170白い磁気の犬の日

KIN170.png

白い犬の13日間になりました。

どの紋章も好きですが

白い犬は別格に好きな紋章。

キーワードは

【 ハート・愛する・忠実 】

愛する

というのは行為ですので

無欲のようであっても

自分がいる限り

どこまでいっても自分のため・・・



無力感というか

方向が間違ってるような気がすること

あります・・・



名詞だと

自分だけでなく

パートナーから宇宙まで

その状態・雰囲気が

無限に広がっているイメージも

浮かんできます。

愛とは・・・

いろんな例えがありますが

6月2日の朝に出会った講話です。


ーーー


世の中で最も柔らかいものと

いうのは何だろう?

外側の世界において

最も柔らかいものは水だ。

内側の世界で

最も柔らかいものは愛だ。

そして水と愛の二つは

数え切れないたくさんの点で

似通っている。

それらが理解されねばならない。

水はくぼんだ場所を

求めていく。

愛もまたくぼんだ場所を

探し求める。

もしあなたがエゴイストだったら

愛はあなたに

達することができない。

それというのも

あなたが自我の頂点、

一つの絶頂だからだ。

あなたはあまりにも

自分自身でいっぱいに

なっていると、

愛はあなたにまで

達することができない。

愛はあなたがひとつの『空』、

何一つ邪魔のないひとつの

スペースであることを必要とする。

水もまたくぼんだ場所を

探し求める。

そうやって、

それはヒマラヤから発し、

どこまでもどこまでもどこまでも

それが海にたどり着くまで

進んでいくのだ。

海というのは

世界で最もくぼんだ場所だ。

水がそこに到達するのは

そういうわけなのだ。

川はエベレストに

向かってはいけない。

それはヒマラヤの最高峰に

向かっていくわけにはいかない。

ちょうどその反対の事が起こる。

川はヒマラヤの最高峰で、

氷河の中で生まれ、

そしてどんどんと低く低く低く

流れていき、

それが世界で最もくぼんだ、

最も低い場所である海に

たどり着くまで止まらない。

その海が川の我が家となる。

愛もまた虚ろさ、

空っぽさへ向かって動いていく。

エゴイスティックな人たちが

愛せず、

そして愛されることも

できないのはそのためだ。

彼らは多くを望む。

彼らは愛を求める。

彼らは愛を得るために、

必要なことは

何から何までやってのける。

ところが彼らは

失敗者のままだ。

彼らは完全に失敗する。

というのも

肝心なことはどうやって

愛を得るかということでは

ないからだ。

ポイントはいかにして、

虚ろになるかなのだ。

愛というものは、

直接的に求められるべきではない。

直接的には追い求められない。

ただ非直接的にのみ、

あなたはそれに対して

『有効』になる。

あなたは

ただ虚ろになるだけでいい。

するとどうなるだろう。

千と一つの流れが

あなたの中に向かって流れ始める。

見ず知らずの人たちが

あなたに

恋をするに違いない。

人間ばかりではない。

星たちも、石たちも、

空も、海も、樹々も、鳥たちも

どこであれあなたが行くところ、

突如として

愛があなたに向かって、

流れ始めることだろう。

それは愛が

水のようなものであるからだ。

それは休むことのできる

くぼんだ場所を探し求める。

あなたが一本の樹のそばを

通り過ぎる…

もしあなたがくぼんでいたら

不意に愛があなたに

向かって流れ始めるだろう。

それは自然なことだ。

それは何も奇跡のような

ものではない。

それはちょうど

水のようなものなのだ。

水を流せば

それは休むための

一番くぼんだ場所を

見つけ出すだろう。

愛は内なる実存の水なのだ。

Osho

posted by TARA at 23:34| Comment(0) | OSHOの講話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年05月24日

OSHOの講話 39

五月晴れが続かない5月

例年より20日も早い梅雨入りの

久々の晴れた日。

夕方のまこも田についたら

夕日は沈んでいたけれど

水鏡が
周りを映していました。

KIMG5150.JPG

いろんな形をしていた雲

夕映え

山の木々

活着したまこも

蛙たちが歌ってる声も

自然の中に溶けて

調和していました

その翌日=今朝

あがってきた講話です。

ーーー


神は人物では全くない。

神は存在の究極のハーモニーだ。

覚えておきなさい。

そのハーモニー、

調和、音楽、旋律、

はるか遠くからの

カッコウの呼び声を・・・

そして、

その中に神々しさがある。

この鳥の呼び声・・

その中に神々しさがある。

あなた方全員が溺れている、

ここのこの沈黙・・・

その中に神々しさがある。

神々しさは、

確かに存在する。


私は、H・G・ウェルズに

完全に同意する。

彼は仏陀について、

かつてないほど

もっとも深遠な声明を出した。

仏陀は、

かつて

地上を歩いた人物の中で、

もっとも

神のようでなく、

それでいて

もっとも神のような人物だ、

と彼は言った。

もっとも

神のようでなく、

それでいて

もっとも神のような?

その通りだ、

それが存在のありようだ。

それは神のない存在だ。

が、

途方もなく神のようだ。

神々しさを

覚えておかなければならない。

神は忘れ去られねばならない。

神を覚えていたら、

あなたは教会や寺院やモスクに行って、

何世紀にもわたってなされて来た

あらゆる種類の

愚かなことをやるだろう。

神々しさを覚えていたら、

カーバ神殿や

カシ(ヴァラナシ)に行くことはない。

それを生きるかどうかだ。

そうなったら、

神々しい生き方をするがいい。

調和して生きるがいい。

美しく生きるがいい。

美的に生きるがいい。

感受性豊かに生きるがいい。

愛に溢れて生きるがいい。

あなたの生を、

途方もない恋愛にするがいい。

そうすれば、

祈りは必要ない。

それを聞く者が誰もいないからだ。

ことは祈りではなく、

瞑想だ。

神に求めてばかりいてはいけない。

あなたは時間を無駄にしている。

沈黙し、

もっともっと沈黙し、

その沈黙から生きるがいい。

その沈黙から行動するがいい。

深い敬意を持って、

人々と、

動物と、

木と、

岩と会うがいい。

全てが神性だからだ。

存在は、

神以外の何ものでもない。

存在は、

神と同義だ。


Osho - The Dhammapada

posted by TARA at 18:53| Comment(0) | OSHOの講話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年04月19日

OSHOの講話 38



新しい人間は普遍的でなくてはならない。

彼は民族や宗教、性別や肌の色といった

あらゆる障害を越えるだろう。

新しい人間は、

地球全体が我が家だと主張するだろう。

そうして初めて、人類は生き残れる。

そして、ただ生き残るだけでない。

それは人間への新たな概念の訪れでもある。

古い概念は「あれかこれか」だが、

新しい概念は「あれもこれも」だ。

人は外側で豊かな生を送り、

かつ内側でも豊かな生を送るべきだ。

選ぶ必要などない。

内側の生は外側の生に反してはいない。

それらはひとつのリズムの一部だ。

ただ内側で豊かである為に、

外側を貧しくする必要はない。

外側で豊かでいる為に、

内側で豊かにあることを落とす必要もない。

それが今までのやり方だった。

西洋は一方を選んで来た、

外側で豊かにあれと!

東洋はもう一方を選んで来た、

内側で豊かであれと!

両方とも片手落ちだ。

どちらも悩み、

苦しんでいる。

私は全面的な豊かさを教える。

科学を通じて外側で豊かになり、

宗教を通じて内側の最奥の核において

豊かであるがいい。

それこそがあなたをひとつにし、

有機的に、個人にしてくれるだろう。

新しい人間とは、

葛藤や分裂した人格ではなく、

ひとつになり、ユニークで、

生をその全体性において余すことなく生きる人間の姿だ。

新しい人間は、より成長し変異した人間の姿や

宇宙における新しい在り方、そして実在を知覚し

経験する上での質的に異なった道を、

現実のものにする。

だから、どうか古いものが過ぎゆくのを

悼(いた)まないで欲しい。

古いものが死に、夜が死んでいくことに歓喜し、

地平線の夜明けに歓喜しなさい。

私は嬉しい・・・伝統的な人間が消え、

古い教会が廃墟になり、

古い寺院がさびれていくのが、本当に嬉しい。

古い道徳が大地へと倒れていくのを、

私は心から喜んでいる。

これは実に素晴らしい危機だ。

その挑戦を受けるなら、

これは新しいものを生み出すひとつの機会だ。

過去のいかなる時点においても、

これほどまで機が熟したことはかつてない。

あなたは最も美しい時代のひとつを生きている。

というのも古いものは消えつつあり、

あるいは消えてしまっていて、

混沌が生まれているからだ。

そして素晴らしい星々は、

混沌からしか誕生しない。

あなたはもう一度、

ひとつの宇宙を生み出す機会を手にしている。

これはごくまれに訪れる機会であり、本当に貴重だ。

この決定的な時代を生きるあなたは幸運だ。

その機会を、

新しい人間を生み出す為に使いなさい。

その新しい人間を生み出すには、

まず自分自身から始めることだ。

新しい人間は神秘家、詩人、科学者、

その全てであり、

古く腐った分割を通しては生を見ない。

神の臨在を感じるがゆえに、彼は神秘家だ。

神の臨在を祝うがゆえに、彼は詩人だ。

科学的な方法論を通じてこの臨在を探求するがゆえに、

彼は科学者だ。

1人の人がこれら3つの全てである時、

その人は全体的だ。

それこそが、私の概念における神聖な人間だ。

古い人間は抑圧的、攻撃的だった。

古い人間は攻撃的であるしかなかった。

抑圧は常に攻撃性をもたらすからだ。

新しい人間は自発的、創造的だ。

古い人間は、イデオロギーを通じて生きて来た。

新しい人間はイデオロギーや道徳ではなく、

意識を通して生き、気づきを通して生きる。

新しい人間は自分自身と存在に対する責任を負う。

新しい人間は古い意味での道徳的ではない。

彼は超道徳的だ。

新しい人間は、自らと共に新しい世界をもたらす。

今のところ、新しい人間が少数派の突然変異であるのは避け難い。

だが彼は新たな文化の担い手、種子だ。

彼を助け、彼の訪れを吹聴し、告げるがいい。

それこそが、あなたへの私のメッセージだ。

新しい人間は、率直かつ誠実だ。

彼はありのままの本物、真正であり、自分を開け放っている。

彼は偽善的ではないし、

目標(ゴール)を通じて生きたりせず、今ここに生きる。

彼はただひとつの時制、「今」を知り、

ただひとつの空間、「ここ」を知る・・・

そしてその臨在を通じて、神とは何かを知る。

歓びなさい!新しい人間は来つつある。

そして古い人間は去りつつある。

古いものはすでに傾き、新しいものはもう地平線にある。

歓びなさい!

私は何度でも言おう、歓びなさい!

posted by TARA at 20:01| Comment(0) | OSHOの講話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする