これは豊かな可能性をはらんだ状況だ。
あなたは後退するか、
それともジャンプして先に進むか、
そのいずれかだ。
後退してはならない。
後退してしも、あなたが満足することはない。
成長のみが満足を与える――
退行が満足を与えることはけっしてない。
たとえあなたの子供時代がこの上もなく美しく見え、
あなたがふたたび子供になっても、
それはあなたを満足させはしない。
あなたは惨めになるだろう。
なぜなら、あなたは青年期を、
青年期の自由、青年期の冒険を知っているからだ。
かつて自分は子供だったという年寄りじみた意味で
ふたたび子供になったとしても、あなたは幸せにならない。
あなたは高められたのではなく、転落した感じがする。
なぜなら、リアリティーへ向かう否定された通路は、
つねに狂気を生みだすからだ。
正常な人々を異常な状況に置くことで、
私たちは異常な行動を入手できる。
現代人は、クラッチやハンドル、
あるいは目的地なしでうなっているエンジンだ。
古い目的地はもはや的外れだ。
今や人間は、
かつて一度も知られたことのない、
まったく新しい何かを学ばなければならない。
今や人間は、
今ここを生きることを学ばなければならない。
そのとおり、
必要なのは方向感覚であり、
固定した目的地ではない。
必要なのは含蓄のある意義であり、
明確な意味ではない。
運命は必要ない――
必要なのは尊厳だ、
必要なのは自由だ。
人間は、自らの自由を探索し、
自分の力で決めなければならない。
与えられた意味はない、
ということを憶えておきなさい。
それが問題だ。
過去には、与えられた意味があって、
あなたは生の意味を教えられていた。
今では、あなたの生の意味とは何かを、
あなたに教える者はひとりもいない―――
あなたはそれを創造しなければならない。
人間は、初めて創造者になる瀬戸際にいる。
今まで、あなたがたは被造物だった。
今や、あなたがたは創造者になる。
こう宣言させて欲しい――
あなたがたは、新しい意識の入口にいる。
今まで、人間は被造物のように生きてきた――
神が創造者であり、人間は被造物だった。
神が決定者であり、人間は追従者だった。
今では状況が変わりつつある。
人間は、もはや被造物ではなく、
今や、
人間が自分自身の生の意味を決めなければならない
人間が、自らの創造力によって、
自分自身の生に意義を与えなければならない。
あなたはそれを語ることができない、
あなたはそれを乞い求めることができない、
あなたはそれを当てにすることができない。
あなたがそれを創造しなければならない。
そして、これは実にたいへんなことだ。
意味を創造するには、
大いなる知性が必要とされる。
意味を創造するには、
大いなる覚醒が必要とされる。
意味を創造するには、
大いなる努力が必要とされる。
だが、人々は物乞いという
単純な策略を身につけている。
誰か――
あなたの父親、あなたの母親が、
あなたに意味を与えてくれる。
あるいは、
天の偉大な父が、
あなたに意味を与えてくれる――
あなたはただ祈りさえすればいい、と。
日を増すごとに仏陀との関わりが大きくなる、
と私が何度も何度も言うのはそのためだ。
時が経つほど、
仏陀と人類の関わりはますます大きくなる。
仏陀の登場は二五世紀早かった。
今が彼にふさわしい時だ。
なぜなら、彼は自由を信じているからだ、
彼は個性を信じているからだ。
彼は、あなたがたが被造物だとは信じない。
彼は、あなたがたが
創造者だということを信じている。
自分自身を創造するがいい。
自分の存在に姿と形を与えなさい。
自分の生を描きなさい、
自分自身を刻みつけなさい。
あなたが何であろうと、
それはあなたの作品だ。
それは運命ではない…
責任はあなたにある。
人々は責任を負いなくない。
彼らは責任を恐れている。
彼らは、他の誰かに自分の面倒を見て欲しい。
彼らはつねに守護者を必要としている。
神経症にかかるのはそういった人々だ。
なぜなら、
もはや守護者は存在しないからだ。
実際、彼らは一度もそこにいなかった。
あなたが彼らの存在を信じていただけだ――
あなたが彼らの存在を信じたからこそ、
彼らはそこにいた。
今や、その信仰は消え、彼らは消え失せた。
彼らは、あなたの信仰によって創られていた。
人間は、
自分の力で独りで生きることを学ばなければならない。
これは大いなる機会だ――
それを否定的にとらえてはならない。
さもなければ、
あなたは精神病院に行くことになる。
それを肯定的にとらえなさい、
その挑戦を受け容れるのだ。
そうすれば、
あなたは地上に現われる初めての
真の人間になる。