2020年02月06日

OSHOの講話 33

ひさびさに、OSHOの講話のシェアを


【全面的に生きれば、生きるほど

それだけ生きる能力は高くなる】


愛すれば堕落する。

愛さなければ愛したいという

深い衝動を感じ続ける。

それは自然のそのものから

やってきている。

何ひとつ悪いことがない。

それは飢えや乾きと

同じように自然なものだ。

そして 飢えや乾きと

同じように美しいものだ。

だが、あなた方の聖者は

人をまさにプラスチック人間に…

飢えもなければ渇きもなく、

愛もない人間に…したい。

それでやっとあなたは完全なのだ。


人のメカニズムが

全てプラスチックでできていれば、

それは簡単だろう。

そして科学者はその線に沿って

考えている…

メカニズム全部を

プラスチックで作る事を。


そうなれば人には

どんな食料もいらない。

どんな愛もいらない。

人は何も必要としない。

人は機械になる。

ロボットだ。

時々どこか具合が悪くなれば

修理工場に送ればいい。

毎日燃料補給スタンドに

出かけて行って、

そこで石油か何か

入れてもらえれば

万事終了だ。

そうなれば、

人間は完全主義者だ。

それで完璧だ。


だが、

あるがままの「生」なると

これは微妙だ。

それはプラスチックではない。

それは極めて微妙なものだ。

人の中にあるのは電線ではない。

人が持っているのは神経だ。


そのバランスはいつも動いている。

何ひとつ確かなことはない。

あらゆるものが

他のものの中に

溶け込み、融合し続けている。


理解の人は悩まない。

不完全を苦にしない。

彼は完全という観点からは

全く考えない。

理解の人は、その瞬間を

可能な限り全体的に

可能な限り全面的に

生きるだけだ。


すると、

全面的に生きれば、生きるほど

それだけ生きる能力は高くなる。

一日が来る。

彼はそれをただ生きる。

どんな理想も押し付けず、

どんな観念も抱かず、

自分の「生」にどんな規則も

統制も設けず、

ただ生きる。


彼はただ生き、楽しみ、喜ぶだけだ。

この信を生きることが『不二』への道


そして、これこそが信だ…、

 『不二』こそ『信心』と

 同じものだからだ。

そして胸の内深く、

信頼する心があれば、

「不二」はあなたの

目の前にある。

内側深くに、

疑いがあれば、

そこに生まれるのは、

理論や思考や言葉や

哲学や教義だろう。

そして、

眼前のことには、

全く盲目になるだろう。

あなたは近くを見ることができず、

遠くを考えることしかできないだろう。


内なる信頼と外なる実在。


内なる信頼と外なる真理。


信頼と真理が出会う。


他の出会いはない。

「『不二』こそ『信心』と

 同じものだからだ」。


posted by TARA at 23:00| Comment(0) | OSHOの講話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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