6/5皐月新月、芒種を迎え
開きと結びのタイミングは、
一筆書きの星になるのだそう。
数日前の6/3に太陽の黒点が0になり、静かに。。。
大いなる宇宙の流れの中に織りなされている
梅雨も感じながら・・・
我が家は田植え継続中。
今日は1枚がんばりましたぁ。
問い:
「何故愛は、霊的な成長においてそんなに大切なのですか?」
OSHO
愛と気づきは、両極の最高の高みだ。
ちょうど、男と女、生と死のように、
暗闇と光、夏と冬のように、
外と中、陰と陽のように、
身体と魂、創造と創造者のようにだ。
愛と気づきは、両極の高みで、
変容が起こる最後の極みだ。
愛には2人が必要だ。
それは関係性だ。
それは外に向かう。外に向かうエネルギーだ。
相手が、愛される人がいる。
相手が、あなた自身より重要になる
あなたの喜びは、相手の中にある。
もし相手が幸せなら、あなたも幸せだ。
あなたは相手の一部になる。
ある種の依存関係がある。
そのように、相手が必要だ。
相手なしでは、あなたは寂しさを感じる。
気づきは、完全に独りになって、
注意深く自分自身とともに、 ただあることだ。
それは関係性ではないので、他者は全く必要ない。
それは外側に向かうことではない。
それは内側に向かうことだ。
愛はあなたの存在から出てくる光の動きだ。
気づきは、それとは反対の動きで、
源へ再度戻る光の反対方向の動き、
源へ帰る動きだ。
これはイエスが悔い改めと呼ぶものだ。
--- これは言葉どおりの悔い改めるという意味ではなく、
源へ帰るという意味だ。
パタンジャリはこれをプラチャーラと、家に戻ってくることと呼ぶ。
マハヴィーラはこれをプラチクラマンと、自分自身に帰ることと呼ぶ。
環が完結したという意味だ。
黄金の華の秘密は、あなたのエネルギーの逆向きの動きに基づいている。
完璧にそれに基づいている。
しかし、この逆向きの動きが可能なのは、
あなたが外に向かう動きをしていたときだけだ。
あなたは愛の中に入っていかなければならない。
あなたは、自分自身にたどり着くために、関係性を持つ必要がある。
これは逆説的に見える。
再び子供になるためには、子供は世間に毒される必要がある。
無垢は、再び本当の無垢になるためには、
ずる賢さのあらゆる騒ぎに入っていく必要がある。
子供は無垢だが、それは無知によるものだ。
聖人も無垢だが、それは無知によるものではなく、
経験によるもの、成熟によるものだ。
彼は再び無垢になるが、その再びなることが非常な重要性を持っている。
--- それ以上、彼の無垢を乱すことはできない。
子供の無垢は乱されざるを得ない。
全てのアダムはエデンの園を、無垢の世界を去る必要がある。
全てのアダムは、世間に、その泥沼に出ていく必要がある。
何故なら、そうして初めてあなたは成長し、
成熟することができるからだ。
そこでだけ、あなたは学び、
そこでだけ、対比することによって無垢の美しさを見、
そこでだけ、あなたは無垢の輝きを理解する。
あなたが無垢の美しさを学んだ日には、
あなたは、気づきを持つようになっている。
あなたは、家に帰ってきている。
もしアダムが天国を去らなかったら、彼はキリストにはなれない。
彼は子供のままだ。
アダムは、外側への動きを意味している。
キリストは、内側への動きを意味している。
アダムは愛を意味し、キリストは気づきを意味している。
環は完結した。
アダムとキリストの違いは、その方向だけだ。
アダムは外側に向かい、その同じ人が反対に向きを変え内側に向いたら、
彼はキリストになる。
アダムは潜在的なキリストで、キリストはアダムが実現されたものだ。
愛はとても本質的なものだ。
あなたは、自分を得るために自分を見失う必要がある。
愛は、自分を完全に失うことを唯一可能にするものだ。
あなたが完全に失われたとき、
あなたは自分がしたことを思い出すことができる。
それはいつも大海に住んでいる魚のようなものだ。
彼は決して大海に気づかないし、その祝福に気づくことはない。
彼は網に捕まる必要があり、
漁師が彼を拾い上げ、砂浜に放り出す必要がある。
その砂浜で、暑い日の下で、
彼は初めて思い出す。
彼は何年も大海に住んできたのに、大海には気づかなかった。
全く気づかなかった。
今や渇きが、暑さが、大海を意識させる。
大海に帰りたいという大きな渇望が起こる。
それが大海にジャンプして戻るためのあらゆる努力を作りだす。
それが探求者の状態だ。
大元の源へ帰りたいという渇きだ。
そしてもしこの魚が大海に再び戻ることができたとしたら、
あなたはその祝祭がどれ程のものか想像できるだろうか?
その魚は大海にずっと住んできて何も祝祭はなかったというのに。
今や祝祭の可能性がある。
今はとてもうれしく、祝福されていると感じる。
霊的な成長のためには、愛は必要だ。
更に愛は鏡として働くので、それ以上のものだ。
誰かあなたを愛する人の目の中に、自分の顔を見たことがなかったら、
あなたが自分自身を知ることはとても難しい。
ちょうど、自分の肉体的な顔を見るのに鏡を見る必要があるように、
自分の霊的な顔を見るためには、そのような鏡が必要だ。
愛は、霊的な鏡だ。
それはあなたを育てる。
それはあなたを統合する。
それはあなたが内側の旅する準備を整える。