フリードリヒ・ニーチェは
「神は死んだ」と言う。
それは間違いだ。
なぜなら、
神など最初から
そこにいなかったからだ。
どうしてその神が
死ぬなんてことがある…?
生はある。
今までもずっとあったし、
これからも常にあるだろう。
自分を許しなさい…
そして私はくり返し言う、
自分が生に乗っ取られることを
許しなさい。
過去のいわゆる宗教は、
まさにその逆を
教えつづけてきた。
彼らは「放棄しなさい」と言う。
私は『祝いなさい』と言う。
彼らは生を否定し、
私は肯定する。
彼らは、
生は何か間違ったもの
幻影のようなものだと言う。
そして、彼ら自身の
マインドの投影以外の何ものでもない
神という抽象的な概念を創りだし
その投影を崇拝する。
それは実に非知性的で、
馬鹿げているから、
何百万もの人々が
こうしたまったくのたわごとを
どうして信じてきたのか、
不思議なくらいだ。
ものごとのあるがままが、
マインドの
抽象にすぎないもののために
否定されている。
神とは言葉にすぎない。
だが彼らは、
神は実在すると言う。
生は‘現実’だ。
あなたは生を
自分のハートの
ときめきのなかに感じる。
生はあなたの血のなかで脈打つ…
生は至るところにある…
花に、川に、星に。
それなのに彼らは、
これらはすべて“マーヤ”だ、
すべて幻影だと言う。
生は夢が作られるのと
同じ材料で作られていると言う。
が…、
彼らは神を創る
もちろん、誰もが
自分勝手な想像で神を創る。
だから何千もの神々が創られてきた。
それはあなたの想像だ。
あなたは
頭の四つある神を創ることもできれば、
千の手をもつ神を創ることもできる。
それは‘あなた’次第
あなたのゲームだ。
そして、
これらの人々はずっと言いつづけ
他人のマインドを毒しつづけてきた。
私はあなたに言おう、
生が唯一の真理だ。
生よりほかに神はない。
もし、あなたがこの単純なことを
やっていけるとしたらそれは単純だ。
なぜなら、
それはただ‘手放し'という問題に
すぎないからだ。
それはすでに道の途上にある…
あなたはただくつろぐがいい。
緊張したり、
スピリチュアルになろうとしてはいけない。
物質と精神のあいだに、
いかなる境界線も創ってはいけない。
ギャンブラーでいてごらん。
ビジネスマンでいてはいけない。
そうすれば
あなたはもっと神を知るだろう。
しかし、
すべてを賭けて待っているときの
ギャンブラーのスリル……
さぁ、
どうなるか?
まさにその瞬間に、
窓が開きうる。
その瞬間が、
内なるゲシュタルトの
変容となりうる。
大酒飲みになりなさい。
生に、存在のワインに酔いしれなさい。
しらふでいるのはやめなさい。
しらふの人というのは死んでいる。
生のワインをあおりなさい。
それはほんとうにたくさんの詩と
多くの愛と
多くのジュースにあふれている。
あなたはいつでも
春を連れてくることができる。
ちょっと春に声をかけて
太陽と風と雨を
あなたのなかに入らせなさい…。
私は神を否定してはいない。
私がはじめて、
神とは本当は“なに"なのかを
明らかにしている。
私は神に生命を与えている。
私は神をあなたに近づける。
あなたのハートそのものよりも近くに
なぜなら、
神はあなたの実存そのものであり、
かけ離れた何かではなく、
遠くにある何かではなく、
空の上にある何かではなく、
‘今ここ'だからだ。
私は“そのとき、そこで”という
観念そのものを壊そうとしている。
私のビジョン全体は
‘今’と‘ここ’のものだ。
なぜなら、
ここよりほかに場所はなく、
今よりほかにときはないからだ。
Osho - Guida Spiritual