2023年03月16日

OSHOの講話 67


本当に大切なのは

自分のさまざまな思考や欲望や本能と戦わないことだ


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なぜならば、それは否定的(ネガティブ)であって

否定的(ネガティブ)なものは助けにならないからだ

本当に大切なのは

気づきにおいて、瞑想において成長することだ

そうしたとき、人はいかなる戦いもなく勝利を手にすることができる

そして、葛藤を通しての勝利など本物の勝利ではない

いちど抑圧されたものは

くり返しくり返し抑圧されねばならないだろう

葛藤を通して葛藤に終止符を打つことはできないし

戦いはより多くの戦いを呼ぶだけにすぎない


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しかし

どんな葛藤も、戦いも、抑圧のない勝利がひとつある

その勝利は、気づきにおける肯定的な(ポジティブ)な成長から来るものだ

自分自身と闘わないこと

気づきと理解と沈黙において成長してゆきなさい

すると、否定的(ネガティブ)で病んだものはすべて

ひとりでにしぼんでしまうだろう

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鈴木大拙がこんな話を紹介しているーー

紀渻子(きせいし)が皇帝のために一羽の闘鶏を飼育することになった

10日たつと皇帝はたずねた

「もうよいか?」

紀は答えた

「いいえ、まだでございましょう

 やつは、まだまだ虚勢ばかりで、猛り狂っております」


もう10日たって、皇太子がその鶏のことをたずねると

紀は答えた

「まだでございましょう

 やつは他の鶏の影を見たり、鳴き声を聞いたりしようものなら

 警戒心を高ぶらせております」


また10日たって、皇太子から問い合わせが来ると

紀は答えた

「いまひとつでございましょう

 やつの闘争心はまだ内側で、覚まされようとくすぶっております」

それから10日すぎると、

紀は問い合わせの返事にこう答えた

「ほぼ用意がととのいました

 いまでは他の鶏の鳴き声を聞いても

 何ひとつ興奮を見せません

 やつはもう肯定的(ポジティブ)になったのです

 やつは微妙な内なる気づきを発達させました

 今では木彫りの鶏のように

 じつにおとなしく、静かです

 やつの素質は完成されました

 やつにかなう鶏はおりませんし

 勝つのに闘う必要もないでしょう

 他の鶏どもは一目散に逃げだすでしょうから

 もうまともにやつと対戦できないのです」


そして、それは本当にそのとおりだった

その鶏はまったく戦わずして勝利を重ねたのだ


そして、あなたも自分自身に同じことができる

紀渻子の鶏からその秘密を学ぶがいい!



posted by TARA at 14:22| Comment(0) | OSHOの講話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年03月14日

3/21(祝)第8回~癒し処~CaféNada お店屋さんがふえました

出会えた時空間が一期一会サロン
~ 海岸への小径 ~
タロット読み人TARAです。


あっという間に庭の八重梅さんが咲いて、

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*ほころびかけて夕暮れを迎える八重梅さん

散って・・・


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*勢いがある若い樹なので長いあいだ、
 華やかさを添えてくれていた終盤の紅梅さん



早咲きの桜が満開の風景を見かけるようになりました。

といってももう、3月も半分終わって

7日後には春分の日に。


2023年の1/4があっという間に過ぎようとしています。

残りの3/4を内包している生命の始まり春。

スタートだからと過剰に意識せずとも

ただこのうららかさ、晴れやかさ、

花々、鳥、虫たちとともに祝っていれば

そこから次への流れはおのずとやって来るのでしょう

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◆第8回◆~天地人をつなぐ~ 
    癒し処 Café Nada ~再誕生~


 *詳細は過去記事へ ⇒ こちら♪


お店屋さんも増えて8店舗に❣️

8が重なり、弥栄度が増しております✨

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 ◆天地人をつなぐ出店メンバー◆

☆彡ほっこりと大地からの食の癒し 
 ・はるちんcoffee☕(自家焙煎コーヒー他)
 ・おいとはん🍩(揚げたてドーナツ)
 ・塩梅~あんばい~(ごはんもの)

☆彡クラフトdeアートの癒し
 ・botanypainting Sachi🎨(アートWS)
 ・chie♡あみあみ+ハンドマッサージ✋
 ・ ikikinomon🌳(樹のオーナメント他)

☆彡見えないエネルギーを感じて心身の癒し
 ・ヒーリングスペース晴🌞(整体他)
 ・タロット読み人TARA☯(タロット)

  *もしかしたら増えるかも・・・🌱


毎回、その回のテーマをタロットをひいて決めています

今回は「再誕生」

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周りに合わせていた時の安心の中にある物足りなさ。

違う地平からの見える景色を、

主張しすぎるとバランスを超えた正義感になって

距離が生まれる。。。

デジタル化の普及とAI化の加速、

情報元が増えて鮮度と質が変わり、

価値観の多様性というよりも

ラベリングと細分化でより分離していくような中に

新しい正しさを追い求めてさまようことなく

終わりのない社会の繰り返しから、

変容して生まれ変わる2023なのかもしれません。


taraも

中庸点からまた地上に光が増していく始まりに乗って

公開タロットリーディングをしてみようと思います。



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反逆者を出すほどでもないかもですが・・・笑。

大胆な、初の試み❣️

1月1日に投稿したような感じの、

全体的なリーディングとなります。

(*過去記事 ⇒ こちら♪

もしご興味ありましたら見に来てくださいね^人^☆彡

大体12時~12時半ごろになろうかと思います。


イベント全体に関してのお問い合わせも

お気軽にご連絡ください。

みなさまもよい春の日々、春分を🌞🌎🌈


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posted by TARA at 16:26| Comment(0) | 出店情報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年03月02日

OSHOの講話 66


一般に信じられているように、

欲望が不安を生みだすのではない―

不安が欲望を生み出すのだ。

人は「不安」そのものだ。


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先日、私はあなた方に言った。

動物には不安がない、と。


それは彼らが 何かになる(become)必要がないからだ―

彼らはある(are)。

イヌはイヌであり、

トラはトラであり、

それで全く問題ない!


トラはトラになろうとしていない。

トラはある!

トラはすでにある!

いっさい何かになる必要はない。


動物の世界には不安というものがない。

ブッダの世界にも不安というものがない。


彼らは到着しており、なっているからだ。

彼らはシッダ、存在(being)だ。

もはや目標とするものはなく、動きはない。

旅は完結した。

彼らは<わが家>に到着している…。


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この二つの間に人間がいる―

彼は半分は動物、半分はブッダだ。


まさにそこに不安がある。

不安とはこの緊張だ。


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あなたの一部は

動物に戻りたがっている。

それはあなたをいつも引き戻そうとする。

それは言う。

「戻っておいで! 

 あんなにすばらしかったじゃないか―

 どこへ行くつもりだい?」


もう一方の部分は

未来へ希望を抱き続ける。

何らかの間接的な形で、

あなたはブッダになることが

自分の天命であることを熟知している。


種子はある!

そして、種子はあなたに言ってやまない。

「土を、正しい土壌を見つけ出せば、

 おまえはブッダになるだろう。

 戻ってはいけない!前に進め…」


この綱引きが「不安」だ。

「不安」は理解されるべき

最も重要な言葉のひとつだ。

なぜなら、

それは単なる言葉にとどまらないからだ。

それは、まさに人が置かれている状況だ。

これが人間のディレンマだ―

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生きるべきか、死ぬべきか?

これであるべきか、あれであるべきか?

どこへ行ったらいいのか?


人は十字路で立ち止まっており、

すべての可能性が開かれている。

だが、一つの可能性を選んだら、

ほかのすべての可能性を捨てなければならない―

そこに恐れがある。

間違った選択をしたかもしれない。

右に行けば―

誰にわかるだろう?―

左に行く方が正しかったかもしれない…。

これが「不安」だ。


どこへ行ったらいいのか?

何をしたらいいのか?

何をやるにしても、不安がなくなることはない。

動物になってしまえば、

ブッダの部分がそれに反逆しようとする。

自分の動物の部分が喜ぶことをやってみれば、

ブッダの部分があなたの中に罪悪感をつくりだす…。

ひとつの部分に従えば、

もうひとつの部分が罪悪感を感じさせる。

その逆もしかり。

これが「不安」だ。


この不安はまさに実存的なものだ。

それに苦しむ者もいれば、苦しまない者もいる

ということはない―

それはない。

それは実存的だ。

誰もがその中に生み落とされている。

人類はその中に生れついている。

人間は不安の中に生れついている。

それが人間に与えられた課題だ。

それは彼がとかねばならない問題、

彼が越えなければならない問題だ。


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さて、それを超越する方法は二つある。

ひとつは世間的な方法で、

それを「欲望」と呼んでもいい。

欲望はこの不安を隠すやり方だ。

あなたは狂ったように金を稼ぐことに奔走する。

金もうけに夢中になり、

実存的な不安のことはすっかり忘れてしまう。

そうなれば真の問題について

考える時間も、手がかりもなくなってしまう。

あなたは

すべてを脇におしやって、金、

さらなる金の追求にのめり込む。

そして

金を得れば得るほど、

さらに大きな欲望が起こってくる。

この金や政治権力を求める欲望は、

不安を隠すための覆いにほかならない…。

欲望は不安を避けるやり方だが、

ただ避けることしかできない。

避けることで、それを打ち壊すことはできない。

欲望は人に小さな不安を与えるが、

いいかな、

それはごく小さな不安であって、

実存的なものではない。

もちろん、金を稼いでいる時も、

あなたはいくつかの不安はあるだろう―

取引のことや株式市場のこと、

あれやこれやのこと、それから価格。

多くの金を注ぎ込んだが、

それでもうけることができるか、

それとも損するか?

こういった小さな不安がある。

それはほんとうの不安とは

比べものにならない。

それはほんものを避けるためのトリックだ。

欲望は不安の隠蔽だ。

それはトリックであり、策略だ。

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そして、

想とは、その覆いをはがすことだ…。

真の瞑想はテクニックではない。

真の瞑想は単にくつろいで、

静かに坐り、

あるがままにものごとを起らせることだ。

すべての不安が浮上して、

表面化するのを許しなさい。

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そして、

それを見守り、見守り続ける。

それを変えることは何もしない。


目撃が真の瞑想だ。

その目撃の中で、

あなたの仏性は

さらにもっと力強いものになる。


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目撃は仏性の滋養だ。

そして、

仏性が力強くなればなるほど、

不安はいっそう少なくなってゆく。

あなたの仏性が成就した日、

すべての不安は去っている。


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posted by TARA at 13:06| Comment(0) | OSHOの講話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする