真正であるとは、
自分自身に
誠実であるということだ。
それは実に危険な現象だ。
まれな人々にしかそれはできない。
だが、
それをやろうとした者は
必ず達成する。
彼らは
想像もできないほどの
美、
優雅さ、
充足を
達成する。
誰もが、欲求不満に
陥っているように見えるのは、
自らの内なる声に
耳を傾ける者が
一人もいないからだ。
第二のこと。
最初のことをやりとげて、
初めて第二のことが
可能になる…
決して仮面をつけてはいけない。
腹が立ったら、
怒りなさい。
それには危険を伴うが、
微笑んではいけない。
なぜならそれは真実では
なくなることだからだ。
だが、
あなた方は怒りがあっても、
微笑みなさいと
教えられてきた。
あなたの微笑みは
偽りのものに、
仮面になってしまう。
うむ?唇の体操以外の
何ものでもない。
ハートは怒りで、
毒で一杯なのに、
唇は微笑んでいる。
あなたは偽りの
現象になってしまう・・・。
真正さについて
第三目のこと。
常に現在に、
とどまりなさい…
なぜなら、
すべての虚偽は
過去か未来かの
いずれかから入り込むからだ。
過ぎたことは過ぎたことだ…
それを気にしてはいけない。
それを重荷にしてはいけない。
そうでないと、
それがじゃまになって、
現在に対して
誠実になることができない。
そして、
まだやって来てないものは
まだやって来ていない…
いたずらに未来のことを
気にしてはいけない。
そうでないと、
それは現在に入り込んで、
それを壊してしまうだろう。
現在に対して誠実でいなさい。
そうすれば真正に
なることができる。
<いまここ>に在ることが
真正であることだ。
過去もなければ、
未来もない。
この瞬間がすべて、
この瞬間が永遠
☆彡☆彡☆彡
講話の出典は不明です。
真正と言う言葉を普段使うことはありませんが、
ピュアでいて
自分軸のような内なる芯がそっとある
(激しさを感じさせない)
という人に出会った時
この言葉がぴったりだなぁと感激いたしました。
という人に出会った時
この言葉がぴったりだなぁと感激いたしました。
>それは実に危険な現象だ。
自分の状況の危険を顧みない
ということも、
ということも、
きっとあったとおもいますが
そののち
起きてくる状況を
逃げることなく受け容れてきた
という
>まれな人々にしかそれはできない。
そののち
起きてくる状況を
逃げることなく受け容れてきた
という
>まれな人々にしかそれはできない。
見え方や認識、感じ方などが
きっと違うのだろうな~と。
きっと違うのだろうな~と。
ふさわしい表現も見つかりませんが
OSHO禅タロットの
【無垢】
が一番にあってるように感じます。
今日はお釈迦様の誕生日。
*蓮華さんたちも祝ってる
庭先に出れば
晩春のきりっとクリアな光あふれる中
初くまんばちちゃん
初蛇さんとも遭遇して。
叡智や慈悲も常に注がれているのだろうな~
感じられる身体があることにも
改めてありがたいな~と感じました。
感じられる身体があることにも
改めてありがたいな~と感じました。