2022年04月08日

OSHOの講話47【真正】


真正であるとは、

自分自身に

誠実であるということだ。

それは実に危険な現象だ。

まれな人々にしかそれはできない。

だが、

それをやろうとした者は

必ず達成する。

彼らは

想像もできないほどの

美、

優雅さ、

充足を

達成する。

誰もが、欲求不満に

陥っているように見えるのは、

自らの内なる声に

耳を傾ける者が

一人もいないからだ。


第二のこと。

最初のことをやりとげて、

初めて第二のことが

可能になる…

決して仮面をつけてはいけない。

腹が立ったら、

怒りなさい。

それには危険を伴うが、

微笑んではいけない。

なぜならそれは真実では

なくなることだからだ。

だが、

あなた方は怒りがあっても、

微笑みなさいと

教えられてきた。

あなたの微笑みは

偽りのものに、

仮面になってしまう。

うむ?唇の体操以外の

何ものでもない。

ハートは怒りで、

毒で一杯なのに、

唇は微笑んでいる。

あなたは偽りの

現象になってしまう・・・。


真正さについて

第三目のこと。

常に現在に、

とどまりなさい…

なぜなら、

すべての虚偽は

過去か未来かの

いずれかから入り込むからだ。

過ぎたことは過ぎたことだ…

それを気にしてはいけない。

それを重荷にしてはいけない。

そうでないと、

それがじゃまになって、

現在に対して

誠実になることができない。

そして、

まだやって来てないものは

まだやって来ていない…

いたずらに未来のことを

気にしてはいけない。

そうでないと、

それは現在に入り込んで、

それを壊してしまうだろう。

現在に対して誠実でいなさい。

そうすれば真正に

なることができる。

<いまここ>に在ることが

真正であることだ。

過去もなければ、

未来もない。

この瞬間がすべて、

この瞬間が永遠

そのものだ。

B19.jpg


☆彡☆彡☆彡


講話の出典は不明です。



真正と言う言葉を普段使うことはありませんが、

ピュアでいて

自分軸のような内なる芯がそっとある

(激しさを感じさせない)

という人に出会った時

この言葉がぴったりだなぁと感激いたしました。


>それは実に危険な現象だ。

自分の状況の危険を顧みない

ということも、

きっとあったとおもいますが

そののち


起きてくる状況を

逃げることなく受け容れてきた


という

>まれな人々にしかそれはできない。


見え方や認識、感じ方などが

きっと違うのだろうな~と。


ふさわしい表現も見つかりませんが

OSHO禅タロットの

【無垢】

が一番にあってるように感じます。


今日はお釈迦様の誕生日。

KIMG8689.JPG
*蓮華さんたちも祝ってる


庭先に出れば

晩春のきりっとクリアな光あふれる中

初くまんばちちゃん

初蛇さんとも遭遇して。


叡智や慈悲も常に注がれているのだろうな~

感じられる身体があることにも

改めてありがたいな~と感じました。



posted by TARA at 11:03| Comment(0) | OSHOの講話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年04月01日

令和4年4/1~ メタトロンに聴く♪

出会えた時空間が一期一会サロン
~ 海岸への小径 ~
タロット読み人TARAです。

本日は、OSHOの弟子になるときめ

名前は小さい頃からのニックネームを採用し、

ネオ・サニアシンのシャンタンさんに

苗字の部分を決めていただいてから

10年目の4月1日となりました。


2011・2012年から

環境や心情に急激な変化とともに

過ぎていった10年


2021・2022年ころから

まったくちがってきた変化は続きそう・・・


新しい時代への進化の途上で

どんなことが起きてくるのか。。。


今日の1枚は

【 内側に入る 】

W4.jpg


でした。



外の恐ろし気な雰囲気とは対照的に

内に穏やかな水をたたえている女性。


その境目は薔薇の花々を描いた赤い衣装。


外、出来事にとらわれすぎて

理由や原因、対策を探すことに

自分を取り繕うことに囚われて

頭を使って、動いて疲れていたこと多・・・


これからの方向は

内側に向かっていく。

その姿勢に緊張はなくて

幻想的なことに同調しててくて

きりりと柔らかく新しくしなやか

などと描いております。

ゆっくりと~。


シンクロする講話を ⇒ こちら♪

時々読み返したいと思っています。


☆彡


4/1期替わり

晩春新月

サニアスバースディと、

taraにとって、

トリプルな節目の今日から

新しいタロットフォームを

メニューに追加いたします^0^☆彡


「メタロトンに聴く♪」


メタロトンキューブ.jpg


いつかは創ってみたい、読んでみたい

と思っていたタロットフォーム「メタトロン」

令和4年2月に誕生、

3月にモニターセッションを経て

晴れて正式にお披露目する運びとなりました。



神聖幾何学模様の【メタトロン・キューブ】

タロットを配置して読みます。


メタトロン?

いったい何??

と思われる方もいらっしゃるでしょう。


taraは最初この言葉を聞いたとき、


???
メタル??

トロン??

温泉??

音も不思議で

覚えるのがやっとでした。

ーーー

神聖幾何学図形のメタトロン・キューブは、

大天使メタトロンの波動を表した図形です。

大天使メタトロンは、元は人間でしたが覚醒し、

大天使となりました。今は地球を守護し、

導くものとして、常に私たちを見守ってくれています。

この神聖幾何学のメタトロン・キューブは、

大天使メタトロンも持つ強力なパワーを

私たち人間界に伝えてくれています。


メタトロン・キューブの主な効力

◎ 神聖な導き

◎邪悪なエネルギーからの強力な守護

◎ スピリチュアルな覚醒への助けと導き


 *幸福を呼ぶ曼荼羅アートさんより



またオーラソーマボトルとして

B100大天使メタトロンがあります。

2000年3月21日12:30pm誕生したそう

上層:クリアー
下層:ディープマゼンタ

シェイクすると:

光がちりばめられたディープマゼンタ

メイン テーマ:

影の中に上からの光を照らし、
内なる世界に新しい夜明けをもたらす。


ーーーー


今までのタロット読みの経験を生かした

本格的なサロンメニューとして

受けてくださった方ご自身の本質につながり、

確信を深めて本来の豊かさが拡がり、

そんなバイブレーションと重なり合っていく・・・


新しい時代を先駆ける皆様へ届けたいと思います。

どうぞ受け取ってくださいね。


彩りgoodsも着々とそろっています。


KIMG8390.JPG



直近では

4/2、3の「春のうさとの服」コラボ出店

明日から❣ ⇒ こちら♪

タイミングばっちりの方がいらっしゃったなら

前日までにお声かけくださいませ。

喜びとともに読ませていただきます^人^


タロットinfo:

*4/17(日)新居浜へ参ります

PAP_0561.JPG




posted by TARA at 17:09| Comment(0) | メニューやINFO | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

OSHOの講話46【統合】



4/1の晩春新月は風が強い晴れの日に。


昨日の雨は思いのほか降り続き

大地がかなり潤いました。

草木たちが一気に伸びそうです。


嬉しくもあり@地球

恐ろしくもある@畑


と言う感じで

常に葛藤があるマインド❣


そんな私ではありますが


OSHOの講話でこの始まりを祝いたいです^人^☆彡



今回もいろんなカードが添えられますが、

選んだカードは【統合】


B14.jpg


 『 ユニオ・ミスティカ

    神秘なる合一 』



背景として

内なる風景として

共につながりあった森羅万象中の

空と色

色と空

共振曼荼羅なのでしょう・・・・

ーーーー

宗教的な人とは、

存在には問題などないということを

見抜いている人の事だ

それは神秘であり、奇跡だ

その中に深く飛び込みなさい

それを祝いなさい!

それを祝祭にしなさい

歌い、踊り、愛し、祈り、

描き、音楽を創りなさい

だがそれを解こうと

してはいけない

音楽家は

哲学者よりずっと実在に近い

詩人も

哲学者よりもずっと近い

ダンサーは

音楽家や詩人よりも

なお一層近い

なぜ踊り手は

それほど近いのか?

それはダンスの中で

あなたは解け去るからだ…

踊り手は消えて、

ただ踊りだけが残る

踊りは、

あらゆる最も深い瞑想の一つだ


インドでは神は、

ナタラジ、

踊り手として描かれる

これは実に意義深い

なぜなら、

画家が絵を描くときには、

彼は直ちに

絵と分離するからだ

絵が彼の存在の中に

とどまっているなら、

彼はそれと一つだ

それがまだ隠れているとき、

ただの種子、

思考にすぎないもの、

夢であるときには、

画家は自分の絵と一つだ

それを描いた途端に、

それをキャンバスの上に

注ぎ出すや否や、

彼はそれから分離する

二元性が起こってくる

それは詩人の場合でも

同じであり、

音楽家の場合でも同じだ

踊り手だけが

どこかユニークだ…

踊りでは常に踊りと一つだ

彼が踊り始めるときですら、

その統一は崩れないし、

二元性は生じない

ただ一つのものがある

実際には踊り手が

踊りについて

考えるときには

二元性がある…

踊りについての考えと

そして踊り手が…

微妙な二元性がある

彼が踊り始めると、

その二元性ですら

消えてしまう

踊り手は踊り手になる

踊りから遊離した

踊り手がいるわけでなし、

踊り手から遊離した

踊りがあるわけではない

それは

『ユニオ・ミスティカ、

神秘なる合一』だ

神は踊り手だ

つまり、


神は世界を

描かなかったということだ


そうでなかったら、

神は世界から

分離していたことだろう

世界は

神が歌う詩ではないし、

神が奏でる音楽ではない

世界は神の踊りだ

神はその中にあり、

神がそれだ…

まさにこの時、

これらの緑の木々、

その葉陰から

漏れる黄金の光、

小鳥たちの鳴き交わす声、

そしてあなたたちは

沈黙の内に坐り、

どんな特別な

理由もないままに

私と共にあり、

このとき、

この沈黙を楽しんでいる


『これがそれだ』


Osho


posted by TARA at 11:42| Comment(0) | 出店情報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする