神は人物では全くない。
神は存在の究極のハーモニーだ。
覚えておきなさい。
そのハーモニー、
調和、音楽、旋律、
はるか遠くからの
カッコウの呼び声を・・・
そして、
その中に神々しさがある。
この鳥の呼び声・・
その中に神々しさがある。
あなた方全員が溺れている、
ここのこの沈黙・・・
その中に神々しさがある。
神々しさは、
確かに存在する。
私は、H・G・ウェルズに
完全に同意する。
彼は仏陀について、
かつてないほど
もっとも深遠な声明を出した。
仏陀は、
かつて
地上を歩いた人物の中で、
もっとも
神のようでなく、
それでいて
もっとも神のような人物だ、
と彼は言った。
もっとも
神のようでなく、
それでいて
もっとも神のような?
その通りだ、
それが存在のありようだ。
それは神のない存在だ。
が、
途方もなく神のようだ。
神々しさを
覚えておかなければならない。
神は忘れ去られねばならない。
神を覚えていたら、
あなたは教会や寺院やモスクに行って、
何世紀にもわたってなされて来た
あらゆる種類の
愚かなことをやるだろう。
神々しさを覚えていたら、
カーバ神殿や
カシ(ヴァラナシ)に行くことはない。
それを生きるかどうかだ。
そうなったら、
神々しい生き方をするがいい。
調和して生きるがいい。
美しく生きるがいい。
美的に生きるがいい。
感受性豊かに生きるがいい。
愛に溢れて生きるがいい。
あなたの生を、
途方もない恋愛にするがいい。
そうすれば、
祈りは必要ない。
それを聞く者が誰もいないからだ。
ことは祈りではなく、
瞑想だ。
神に求めてばかりいてはいけない。
あなたは時間を無駄にしている。
沈黙し、
もっともっと沈黙し、
その沈黙から生きるがいい。
その沈黙から行動するがいい。
深い敬意を持って、
人々と、
動物と、
木と、
岩と会うがいい。
全てが神性だからだ。
存在は、
神以外の何ものでもない。
存在は、
神と同義だ。
Osho - The Dhammapada