2019年01月06日

OSHOの講話 33

タロットに聴いて心晴れるや♪
旅するOSHO禅タロット読み人TARAです。


2019年ですが

旧暦では最後の師走朔日。新月

2016年3月9日から3年ぶりの日食の日だそう。

全国的に見ることができるそうですが

もし見るとしても

水たまりなどに映ったものを見たほうがいいようです。

ツオルキンもKIN73赤い銀河の空歩く者

変化に乗る

使命に生きる

生まれ変わる

ゲート的なタイミング

 *気になる人はこちらで ↓

OSHOの講話も今日はNO.33という番号で

数秘的にも特異番号っぽく(よくしらないけど)

いいな~♪

今日のシェア講話をどうぞ

ーーー

仏陀は言う。


誕生は悲惨だ。青年期は悲惨だ。

老年期は悲惨だ。死は悲惨だ ―

人生全体は長い長い

悲劇以外の何ものでもない、と。


もしあなたたが人生を

心構えをもってすれば、

仏陀は完全に

正しいことがわかるだろう。


しかし私は人生は悲惨ではないと

あなたに言いたい。

そして私は仏陀に少しも同意しない。

人生は悲惨になる。

だが、悲惨にしているのはあなただ。

さもなければ、

人生は永遠の喜びだ。

しかしその永遠の喜びを知るには、

あなたは心を開き、

手を開かなければならない。


こぶしを堅く握り締めて

人生に取り組んではいけない。

両手を開きなさい。

途方もない無邪気さをもって

人生のなかへ入ってゆきなさい。

人生の心構えと言うのは狡猾だ。

あなたは味わうことなく、

体験することなく、

生きることなく、

既に決めてしまった。

あなたは既にある決まった結論に

到達してしまった。


私はあなたにどんな

心構えもない生を教える。

もしそこにあるものを

本当に知りたいのなら、

すべての哲学を、

すべての「主義」を落としなさい。

そして手を開き、

全くの裸で、

太陽の中へ入っていきなさい。

それが何であるかを見るために。


あなたは私に訊ねる。

「生に対して、何らかの心構えを

持つことは重要ですか?」


重要でばかりでなく、

生に対していかなる心構えを

持つことも危険だ。

何の期待も抱かずに、

生にその踊り、

その歌をなぜ持たせない?

なぜ私たちは期待を抱かずに

生きることができないのか。

あるがままを、

このなかにある純粋さを、

なぜ見ることができないのか。

なぜ生に自分を

押し付けなければならない?

それに、誰も敗者にはならない。

もしあなたが生に強いるなら、

あなたが敗者になるだけだ。


生にはレッテルを

貼らない方がいい。

骨組みを与えない方がいい。

あなたはものごとを

もっと美しく経験することになる。

もっと宇宙的な体験をすることになる。

なぜなら、

ものごとは本当には

分けられていないからだ。

存在は歓びに満ちた

ひとつの全体だ。

それは

ひとつの有機的統合体だ。

最も小さな草の葉にも

やせた木に茂る最も小さな葉にも

一番大きな星と同じ価値がある。


最も小さなものは

最も大きなものでもある。

なぜならそれはすべて

一体性だからだ。

それはひとつの

連続体だからだ。

分け始めたとたんに、

あなたは自分勝手な境界線、

定義を生み始める ―

そしてそれが、

人が生とその神秘を

逃し続けるやり方だ。


私たちは人生にみな

心構えを持っている。

それが私たちの苦悩だ。

私たちはみな、

ある一定の立場から見る。

それゆえに

私たちの生は貧しくなる。

なぜなら局面はみな、

せいぜい一次元的でしかありえないが、

生は多次元にわたるからだ。

あなたはもっとみずみずしく、

流動的で、

もっと溶け合わなくてはならない ―

あなたは傍観者であるべきではない!

解決されべき問題など

何もない!


生を問題として

受け取ってはいけない。


それは途方もなく、

美しい神秘だ。


それをあおりなさい ―

それは純粋なワインだ!


生に酔っ払いなさい!!

OSHO





posted by TARA at 08:08| Comment(0) | 出店情報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする