害をもたらすもの
「自分のイライラを
どうすればいいのだ」
そんな思いを持っている
多くの方が
いらっしゃると思います。
あなたがイライラするには
訳があります。
あなたに害をもたらす
イライラの源は、
一体あなたのどんな考え方から
やってくるのでしょうか?
あなたを被害者に仕立て上げる、
あなた自身の考え方は
どれでしょう。
「勝手なことしないでよ」と、
人は自分の許可もなく
勝手にした
他人の行為を咎めます。
「一言ことわればいいのに、
無断でやるなんて、
ちょっとひどいじゃない」、
このときあなたは
犠牲者の立場を
選択しています。
加害者は
ことわらなかった相手です。
本当にそうでしょうか。
一言ことわればすむのだったら、
ことわりがなくてもすむはずです。
でもあなたの怒りは
おさまりません。
一言いってやらないと
気がすみません。
300ccの献血が出来たことは
喜びであるのに、
1gの血を
蚊に吸われたときには
腹が立ちます。
承諾していることは
喜びなのに、
無断だと腹が立ちます。
血をぬかれるという行為に
意味を与えているのは
私達です。
取られたと解釈したときに
人は被害者となり、
あげたと解釈したときには
犠牲者となりません。
あなたの解釈が
あなたに害を与えます。
献血が喜びである人は、
蚊に血を与える事が出来たことも
喜びであるはずです。
「そんな事をして蚊が
増えたら困るじゃないか」
とエゴは主張する
かもしれませんが、
実際には創造主である
あなたにとって、
不必要なモノが
大量発生する事はありません。
無礼講という言葉があります。
「今日は無礼講じゃ!
何でも勝手にするが良い」。
いちいち許可はいらないから
勝手にしなさいという
大変に太っ腹な考えです。
そうすると
その日に起こった事は
全て許せます。
「俺が認めたのだから良いよ」
という事です。
だったら毎日
これをやって見ませんか?
朝起きたら一番に、
大きな声で
宇宙に向けていって下さい。
「今日は無礼講じゃ!
地球の皆のもの
勝手にするが良い」と・・・。
通勤電車の中が
満員だったとしても
「よいよい俺が許したのだ、
『おしくらまんじゅう』
楽しむがよい」と、
いつもと様子が変わります。
人身事故で
電車が途中でストップしても
「よいよい俺が許したのだ、
動き始めるまでここで
ゆっくり瞑想しよう。
またとないチャンスに恵まれた」
と喜びだけを体験します。
遅刻して会社に着いたとたん、
上司がやってきて
「困るじゃないか
大切な会議があったのに」
と、あなたに言ったとします。
「よいい今日は無礼講じゃ、
好きなだけ不満を言えばよい、
何でも私が聞いてやろう」。
ただしこれは自分の心の中で
独り言として言って下さい。
こうなると、もはやあなたに
イライラは
なくなってしまいます。
あなたが許しているのですから、
あなたが被害者に
なることはありません。
「俺はそんな事は聞いてない、
そんなこと許した覚えが無い」
こう判断した瞬間、
あなたはすでに犠牲者です。
もう二度と
誰かの犠牲になりたくない
のであれば、ことは簡単です。
あなたの宇宙で起こる全てに
責任を取ることです。
毎朝、
無礼講を言うのも面倒です。
皆さん一緒に言って見ませんか
「これからは全て無礼講じゃ、
全てを私が許す、
宇宙の皆のもの勝手にするが良い、
全て私が責任を取ろう」と。
その日からあなたは
自分の宇宙の支配者として
生き始めます。
ですからあなたの心を傷つける
どんな出来事も
消滅してしまいます。
新聞を見たら
「九州で震度6の地震」
とありました。
私の心はこう言います
「地球さんご苦労様、
のどが気持ち悪くて
咳をしたのですね、
私はあなたが
咳をすることを許します」と。
テレビのスイッチを入れ、
こんなニュースが
流れてきたとします
「××地区で戦争が勃発、
死傷者多数」。
全てを許している
創造主であるあなたは
「私はあなた方の
苦しみを理解します。
自分を傷つけ、
人を恨むという体験を
あなた方が選択した勇気を
私は心から受け入れます」
と言うことが出来ます。
母から「
お父さんが死んだよ」
と突然電話が
かかってきたとします。
「よいよい許そう」というのに
抵抗があったら、
ちょっとだけ意識的に
人間意識に戻ってみましょう。
意識的にというところに
気付いていて下さい。
きっと涙が
あふれ出てくるかも
しれません。
どうぞたっぷりと
そこにいて下さい。
それもあなたの大切な
大切な役割であるからです。
あなたは
自分を表現するために
「今・ここ」に
存在しています。
あなたのそんな
かけがえのない感情を
大切に表現して下さい。
自分の目からあふれでる涙が、
とても清々しいものである事に
気付かれるでしょう。
人間の感情の素晴らしさに、
感動が
押し寄せてくる事でしょう。
全ての体験が、
これまでの苦しみの
パニック感のそれではなく、
別の種類のマイナス感情が
あった事を
発見されるでしょう。
それが気付いている
という事なのです。
たっぷりと
感情をかみしめ終わったら、
また元の創造主に立ち返り
「父よ、お疲れさまでした。
私はあなたが人間としての生を
終えられることを受け入れます。
私は、
あなたがやって来た目的を
全て無事果たされ、
帰還していくことに
エールを送ります。
長い間、父としての役割を
演じて下さったことに
感謝を捧げます。
不自由な肉体を離れ、
自分の本性を取り戻した
瞬間にやってくる
至高の至福体験を
祝福いたします」
と言ってみましょう。
「全てを許すといっても
これだけは例外だよ」、
というものはありませんか?
「イヤ、このベンツだけは
勝手にされては困る」、
「当然、命だけは別物だ」と。
無礼講だといっておきながら
「そんなことをして
良いわけないじゃないか、
それぐらい常識でわかるだろ」
とイライラがやってきたとしたら、
相手を咎める前に、
それが今の自分の
限定された意識から
なされた判断かもしれないと、
一度疑ってみて下さい。
命でさえ例外ではありません。
どうぞ自分こそが
創造の源という立場に立ちかえり、
勇気を持って、
他人ではなく
自分の価値観に意識を戻し、
自分の思考の限界を探って下さい。
あなたの宇宙で、
してはいけないことはないのだ
という言葉を思い出して下さい。
これには例外はありません。
例外があるとしたら、
それこそがあなたの限界です。
自分という責任のとれない
未熟な創造主に気付いて下さい。
あなたが
責任を取れないところにだけ
恐れが潜んでいます。
あなたは自分が責任を
放棄したものによって
害されます。
「俺は聞いてない」
と責任逃避するのは
止めましょう。
「承認した覚えはない」
というのは止めましょう。
「あいつは間違っている」
というのは止めましょう。
「あの情報はおかしい」
というのは止めましょう。
何故なら、
そこからあなたは
被害を受けるのです。
本当は
あなたが承諾していない事は
決して起こりません。
あなたの宇宙にはあなた一人しか
生存していないのですから・・・。
別次元のあなたが
承諾しない限り、
あなたは
蚊にさされることさえありません。
トータルなあなたが
OKを出さない限り、
あなたには
何事も起こらないのです。
ですから
事故なんかあり得ません。
全ての出来事は
自分自身であるハイヤーセルフが
承諾しているのだ
という立場を選択し続けて下さい。
そんなあなたはもはや決して
犠牲者になることはありません。
あなたの出会う全ての人は、
自分の招いた
お客さんという事になります。
夜遅くに聞こえてきた
隣の部屋からの
へたなピアノの音も、
電車の向かいの席に座った
酔っぱらいの酒臭さも、
ラーメン屋のテーブルの上を
はいまわるゴキブリさんも、
例外にしないで下さい。
しつこい新聞の勧誘さえ、
自分が招いている
という態度を失わないで下さい。
もう一度言います。
私達は自分の知らないところで
起きたことに腹を立てます。
「こんな風にされた。
そんな事されるいわれはない」と。
受動的態度を選択した時に
必ずあなたは傷つきます。
自分を真に愛するとは、
決して受動的態度を
選択しないことです。
理由は良くわからなくても
「これは
私の体験したかったことなのだ、
私が望んだことなのだ」と、
能動的態度で接して下さい。
「先に一言いってくれれば
よかったのに」、
「一言ことわってから
持っていけよ」、
「黙ってちゃわからんだろ」、
「俺は聞いてないぞ」、
こんな発言こそが
あなた自身を
傷つけていることに
気付いて下さい。
源は全て自分である。
この超能動的態度を
くずさない限り、
あなたが
被害を受けることはなくなります。
忘れないで下さい、
自分が
現実の創造主であることを・・・。