タロットに聴いて心晴れるや♪
OSHO禅タロット読み人TARAです。
OSHOの講話がすきすぎてここにシェアしておるのですが
ときどき読めるよう記録しとく。。。
罪悪感は
自分を弱々しい存在と
感じさせるが、
責任感は
力強い自分を...
感じさせてくれる。
責任を負うことによって。
あなたは熱い心と
自信と信頼を
取り戻すことができる。
それがサニヤスの意味だ。
サニヤスは、
あなたを、
キリスト教やヒンドゥー教、
ジャイナ教やイスラム教から
自由にしようとする。
サニヤスはまた、
あなたを
フロイトの精神分析の類からも
自由にしようとする。
サニヤスとは、
あなたが他の
どの声に従うのでもなく、
自分の内奥の声に従って、
あなた自身の生を
真撃に生きることを
目指すものだ。
聖書に従うのでも、
コーランに従うのでもない。
たとえ
コーランの中で、
神が特定の話し方で
語ったとしても、
それは、
とくにイスラム教徒に向けて
語られたものであり、
あなたに向けて
語られたものではない。
コーランは、
神がモハメッドと交わした
対話であり、
神があなたと交わした
対話ではない。
あなたは自分自身の
神との対話を
見いださなければならない。
あなたは自分自身の
コーランを
見つけなければならない!
たとえイエスが、
あの美しい言葉を
語ったとしても、
それは
イエスと全体性との対話から
生まれたものだ。
もうそれを
復唱し続けることはない。
イエスの言葉は、
あなたには無意味だ。
それは、
あなたの中に
生まれたものではなく、
あなたの一部ではない!
それは
造花のようなものだ。
プラスチックの薔薇の花を
こしらえて、
薔薇の茂みにつるしておく――
ちょうど
それと同じようなものだ――
それは薔薇の茂みそのものから
咲き出た薔薇の花と
同じではない。
あなたは人の目を
欺くこともできる。
知らない人は
騙されるかもしれない。
人びとには
たくさんの美しい花が、
薔薇の茂みに
咲いているように見えるのに、
それがすべて
プラスチックの花だということが
あるかもしれない。
だが、
あなたにも
薔薇の茂みは騙せない。
自分自身を
騙すことはできない。
あなたはイエスの言葉を
繰り返すことはできる。
だが、
その言葉は神によって
あなたの耳に
発せられたものではない。
その言葉は
あなたに向けて
語られたものではない。
あなたは
他の人に宛てられた手紙を
読んでいるようなものだ!
それは不法行為だ。
あなたはその封筒を
開けるべきではない。
あなたは自分自身の
全体との関わりを探求し、
見いださなければならない。
その関わりを
私は応答(リスポンス)する
能力(アビリティ)、
すなわち
責任(リスポンスィビリティ)と呼ぶ。
応答とは、
自発的に関わる能力だ。
応答とは、
誰に従うのでもなく、
自分のハートに従って、
生の状況に応える能力だ。
自分がそんなふうに
生きていると
感じ始めたとき、
あなたは、
ひとりの個人となる。
そのとき、
あなたは
自分自身の足で立っている。
そして、
覚えておきなさい。
あなたが自分の足で
立ったとき初めて、
いつの日か
足なしで歩き、
翼なしで飛ぶことを
望めるようになる。
そうならなければ、
そんな日は望みようがない。
そして、
あなたはこう尋ねている。
同じ過ちを
繰り返さないで
済むようにするには、
どうすればいいのかと。
ただ、
こういった過ちを
理解しようとしなさい。
なぜ、
こういった過ちが
犯されるのか、
その核心を見抜いたら、
あなたはもう
同じ過ちを犯さない。
真実を見抜くことが
変容につながる。
真実には
人を解放する力がある。
なぜ、
あなたの両親が
あなたを破壊してきたのか、
その核心を
理解するだけでいい。
彼らの願望そのものは
良いものだったが、
彼らの意識は
十分でなかった。
彼らは、
意識的な人びとでは
なかったからだ。
彼らは、
あなたに幸せになって
ほしかった。
言うまでもなく、
この上なく
幸せになってほしかったのだ。
だからこそ、
彼らはあなたに、
裕福で人の尊敬を受ける人物に
なってほしいと願った。
だからこそ、
彼らはあなたの願望を
ねじ曲げ、
切り詰め、
あなたを型にはめ、
組み替え、
特定の人格を与え、
あれこれ抑圧し、
多くのことを
強制したりもした。
彼らは何であれ、
できる限りのことをした。
彼らの願いは正しい。
彼らは、
あなたに
幸せになってほしかった。
ただ、
彼らは自分たちが
何をしているかに
気づいていなかった。
彼ら自身が
幸せの何たるかを、
決して知らなかった。
彼らは不幸な人びとだった。
そして無意識だった。
彼らの願望は、
もっともなものだった――
彼らに腹を立ててはいけない。
彼らは何であれ、
できる限りのことをしたのだ。
彼らを憐れみこそすれ、
腹を立ててはいけない。
怒りを感じてはいけない!
彼らにも、
どうしようもなかったのだから!
彼らは、
ある罠にとらわれていた。
幸せの何たるかを
知ったためしもなく、
幸せな人とは
金持ちのことだという
観念を持っていた。
彼らは生涯を通して
金のために働いていた。
全生涯を
金を稼ぐことで空費した。
だが依然として、
金が幸福をもたらすという、
馬鹿げた考え方を
捨てられずにいる。
そして彼らは、
あなたの存在までも
毒そうとした。
彼らには、
あなたを毒すつもりなど
なかった――
彼らにすれば、
あなたに万能の秘薬を
注いでいるつもりだったのだ。
彼らの夢は
良いものだったし、
願望も良いものだったが、
彼ら自身が不幸で、
無意識な人びとだった――
だからこそ、
彼らはあなたを
損なうことになった。
そろそろ目を覚ましなさい!
幸福を捜し求めなさい!
どうしたら幸せになれるか
見つけだしなさい!
瞑想し、祈り、愛しなさい!
情熱を傾けて、
強烈に生きなさい!
幸福の何たるかを知れば、
あなたは誰に対しても
残酷な態度はとらない。
そんなことは不可能だ。
生を少しでも味わったら、
誰に対しても
決して破壊的な態度など
とれない。
どうして
自分の子どもたちに対して
破壊的でなどあり得るかね?
あなたは、
誰に対しても決して
破壊的ではあり得ない。
意識を持つようになれば、
それだけで十分だ。
「同じ過ちを
繰り返さないで
済むようにするには
どうすればいいか?」
などと尋ねる必要はない。
もし、
あなたが不幸で、
意識していなければ、
あなたは同じ過ちを
繰り返さざるを得ない。
必ず同じ過ちを
犯すことになる!
それは必然だ。
あなたは
同じ過ちを繰り返すよう
運命づけられている。
だから私には、
どうすれば
それを避けられるかという
手がかりを
与えることはできない――
私にできるのは、
あなたにある洞察を
与えることだけだ。
その洞察とはこういうものだ。
あなたの両親は不幸だった――
どうか、
あなたは幸せになりなさい!
あなたの両親は無意識だった――
あなたは意識的になりなさい!
そしてこのふたつ――
意識的であることと幸福――は、
実は別のものではなく、
同じコインの裏表だ。
Osho - Walk Without Feet,Fly Without Wings And Think Without Mind