しばらくブランクがありましたが
OSHOの講話でブログ復活していこうとおもいます
私はちょうどあなたと同じように、
まったくあたりまえの人間だ。
私とあなたの唯一のちがいは、
あなたは
自分自身に
オーケーを言っていないが、
私は自分自身に
絶対的にオーケーと
言ってしまったということだ。
それが唯一の違いだ。
あなたはたえず
自分を改善しようとしているが、
私は改善しようとしていない。
私は未完成こそ
生のありさまだと
宣言してしまった。
あなたは
完全になろうとしているが、
わたしは
自分の不完全さを受け入れている。
それが唯一の違いだ。
だから私には
どんな問題もない。
人が自分の不完全さを
受け容れるとき、
どこから
問題が出てこられるだろう?
なにが起ころうと
「それでオーケーだ」
と言うとき、
どこから
問題が出てこれるだろう?
限界を受け容れるとき、
いったいどこから
問題が出てこれる?
問題はあなたが
受け容れないことから生じる。
あなたは自分のありさまを
けっして
受け容れるつもりがないため、
問題はいつでも
存在するだろう。
自分がいつの日か
受け容れることを、
全面的に自分のありさまを
受け容れることを
想像できるだろうか?
もし想像できるのなら、
なぜいまこのときに
そうしない?
なんで待つことがある?
誰のために?
なんのために?
私は
自分のありさまを受け容れた。
そしてまさにその瞬間、
すべての問題は消えうせた。
まさにその瞬間、
あらゆる心配が消え去った。
それは
私が完全になった
ということではなく、
自分の不完全さを
楽しむようになった
ということだ。
誰ひとり
完全になった者などいない。
なぜなら、
完全になるということは
絶対的に死んでしまう
ということだからだ。
完全など可能ではない。
生は果てしないからだ。
完全など可能ではない。
生はどこまでも
つづいてゆくからだ。
それには終わりがない。
だから、
こういった
いわゆる問題から
抜け出す唯一の道は、
いまこの瞬間に直面している
生を受け容れることだ。
そしてそれを生き、
そのなかで楽しみ、
喜びに満ちていることだ。
次の瞬間は
この瞬間から出てくるのだから、
さらなる喜びとなるだろう。
そしてその次は
さらにいっそうの喜びとなる。
あなたはやがて
ますます喜びに満ちてゆくからだ。
それは
改善によるものではなく、
瞬間を生きることによるものだ。
Osho - Tantra : Suprame Understanding