2016年04月14日

OSHOの講話⑭

タロットに聴いて心晴れるや♪
OSHO禅タロット読み人TARAです。

弥生上弦の月~、
時間として振り返ればあっという間

春を告げた植物たちは花から実へと
うつりかわっています。

昨日は、ツオルキンでは
銀河の活性化の正門の連続10日目のラストでした。

私TARAの中の行動の動機を探った時、

「正解を先に用意するべきだ」


というのがあり


その元は


「批判を恐れている」

からというものがおおいこと。

これををどうやって手放したらいいのか~

ってことを、ドライブ中の旦那さんに

アドバイスを求めつつ、激論!笑

どうやら、

その人がどんなかかわりの人であろうが

親密さにかかわらず、知らない人でも!

先に手を打っておきたい。

不意うちをうけることなく

わかりませんともいいたくない~

この回路に、きづいていないほど、

受け取った結果が良い時も悪い時も

その法則が私に採用・強化されていくと。

無意識がネガティブなのでそれはいつまでたっても

みたされないというやばいサイクルw

まったくそのような思考パターンを持たない旦那さんは

早くやめた方がいいよ~と。

そうならないと決めたらおわり!とまで。


自分のこととなると

一体化しすぎている思考ぐせに

あっさり宣言することはできないけど

その恐れにきづいたら、

そうではない考えにすぐシフトする

という、全く地道な対策をうっていく、

それしかないよねと。

どんなアイディアや結果をみても、

否定されたり、

時にうまくいかないもの。

それを100%完璧にしようと思うことが

無理なのに、そうしようとしてしまうくせ。

それは、闇をみつづけることと同じだと

OSHOからの講話届きました。

(関連講話が⑮につづきます)

ーーー


Osho,


私の生は
恐怖に支配されています。
私を助けて下さい。


多かれ少なかれ
誰の生も
恐怖に支配されている。


なぜなら、
生を生きるには
ふたつの道しかないからだ。



愛に支配されるか、
恐怖に支配されるか。


一般的には、
愛することを学ぶまでは、
生は恐怖に支配される
ことになる。


愛がないときには、
恐怖の存在は避けがたい。
それは
愛の不在にすぎない。


愛することができれば、
恐怖は消え失せる。



だから、
私があなたに
言いたいひとつのことは、
恐怖に注意を払いすぎては
いけないということだ。


それは
自己催眠になる。

自分は
恐怖とともに
生きているのだと
考えつづけたら…、
あなたの生は
恐怖に
支配されるようになり…
それでおわってしまう。



それが
示しているのはただ、
恐怖を
消し去るのに充分なほど
愛が
強くはなっていない
ということだ。


恐怖は
ただの症状にすぎない。
それは
病気ではない。
治療法もないし…
その必要もない。


それは
ただ症状でしかなく、


それでいて
極めて有用でもある。



つまり
それが示していることは、


もうこれ以上、
生を浪費しては
いけないということだ。


あなたは
“もっと愛しなさい”
と言われている。



Osho - Hammer on the Rock




posted by TARA at 14:35| Comment(0) | OSHOの講話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする