リーディングで、その日に同じようなカードが
みなさんの選ぶカードの位置もまちまちなのに
不思議ですが
その日のモードなど何か目に見えないものが
その人を引き寄せ、カードに現れるのかもしれません。
「愚者」や
今日はこれらのカードにピッタリだなーと感じた講話が
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愛はハートから湧き起こる。疑いや恐怖は頭のなかで生じる。
osho
疑いは防御だ。
そして、たとえそれで守られているにしても、
あなたは行き詰まったままだ、動くことはできないーー
動きのひとつひとつが恐怖をもたらすからだ。
動きのひとつひとつが未知へと、
不慣れなものへと入っていく動きだからだ。
疑いは恐怖の副産物だ、それを覚えておくがいい。
では、信じることとはなんだろう?
信じることは愛の副産物だ。
愛し方を知っている者にしか、
どうやって信じればよいのかはわからない。
愛はハートから湧き起こる。
信仰もそうだ。
疑いは頭のなかで生じる。
恐怖もそうだ。
頭のなかで生きる人は臆病者でありつづける。
実際には、臆病だからこそ頭のなかに住んでいる。
ハートに向かって動くのを恐れている。
ハートが自分をどこに連れて行くのかは
誰にもわからないからだ。
ハートはひとりの冒険者だ。
神秘の探検家、
隠されているものすべての発見者だ。
ハートはいつも巡礼の旅に出ている。
それはけっして満足しない。
それにはもっとも内奥の不満、
スピリチュアルな不満がある。
けっしてどこにも落ち着かない。
動きを、原動力をとても愛している。
ハートは、そこから先はゴールのない究極に
自分が行き着いて初めて満足する。
世俗的なものでは満足できない。
ハートはけっして型にはまらない、
ハートはつねに革命のさなかにある。
ひとつの境地から別の境地へとつねに飛翔している。
つねに手探りしている、
つねに危険を冒している。
持っているものはなんでも
未知のために賭ける用意がつねにある。
ほんとうのところを知りたいというのがハートの欲望だ。
それが〈神〉とはなにかのすべてだ。
ハートは冒険を待ち焦がれている、
危険を待ち焦がれている、
未踏のもの、未知のもの、
安全ではないものを待ち焦がれている。
大海のよう(オーシャニック)な体験を渇望している。
溶けたいと望んでいる。
全体へと消えていくことを望んでいるのだ。
頭は恐れている、
死ぬことを恐れている、
消えることを恐れている。
信頼すると、あなたの無意識が多くのものごとを明かし始める。
それが自らを現わすのは、信頼するマインド、信頼する実存、
信頼する意識に対してのみだ。
宗教はこの信頼の芳香だ。
非の打ちどころがなく、絶対だ。
無神論は弱さから、無力さから生じる行為だ。
それは退廃的だ。社会が無神論になるのは、
その社会が死にかけていて、活力と若さを失ったときだけだ。
若く、生き生きとして、活気に満ちていると、
その社会は未知を強く求め、危険なことに憧れる。
危険を冒して生きようとする。
生きる道はそれしかないからだ。