2016年03月11日

春という生まれる変化とともに

タロットに聴いて心晴れるや♪
OSHO禅タロット読み人TARAです。

昨年1月から出張タロットを初めて1年と2か月、

ゆるく月1回のペースで伺わせていただいているお店は

この3月で5か所にもなったのですが

門出に立ち会う別れというタイミングが2つも重なりました。

出店記録という分類だけどつれづれ日記的に~


1店目は、チャイハネ松山店の店長さん。

ご結婚にともなうお引っ越しで、めでたいご退職♪

2月が最後のご出勤月でしたが、
3月6日のタロット出張の時にわざわざ逢いに来てくれて^0^♡

ククノチ勾玉をお気に召してorderくださったり、

時間をはずした日の祭りに遊びに来てくれたりと

お目が高かったり(このタイミングで自分で言うw)

フットワークも軽く、
個性豊かで若いのにしっかりとされた店長さんでした。

お幸せを祈りますが、

なによりも

ご自分できっとつかめる方だから

きっと大丈夫でしょう◎

160310 チャイハネふみさんと.jpg

この写真は2月のときのものを、店長さんよりいただきました。

そして、新しい店長さんにもお逢いしました。

更に若くて、個性的な男性でした!

早速ククノチ勾玉にくぎ付けになってくださり・・・

やはりお目が高い方でした~ ^m^

チャイハネさんのこれからの変化も楽しみです♪

そして、

2店目がコゴマフキンさん。

2.29に出張に伺ったら、突然のお知らせ。

「3月いっぱいで、このお店はおわりになりますw」

えーっ。

まさかの。

どうもお店自体が取り壊されるとか。

私よりもコゴマフキンさんのほうがショック大きいはず。

ですが、

不満をとくにあらわすこともなく、ことを受け入れて淡々と・・・

大人ですー。

次の移転先も決まっていて、

オープン日が未定とのこと。

急な出来事であり強制的にみえても、

大きな視点からは、いい流れに変わったということのよう。。。

数か月前にとってもらったこのお気に入り写真が

もはや記念写真になってしまったー。

0150131 コゴマフキンにて.jpg

タロットを読んでなかったら出会わなかった。

今の道からあたらしい道へ

生まれ変わる節目に立ち会っていることに

不思議なご縁を観じます。

変化の中の人たち全てに幸あれ!



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posted by TARA at 23:58| Comment(0) | 出店記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

OSHOの講話⑧

タロットに聴いて心晴れるや♪
OSHO禅タロット読み人TARAです。

出張記録が追いついておりませんが・・・

昨日は初出張先のリクルさん、

うれっこ?と錯覚するくらいにあっという間に過ぎていきました。

ありがたいです◎

また別記事にアップしようとおもいます^0^♪

今日FBにあがってきてた講話は、

本ももってて何度も読んでいるし、

よくシェアされてくる講話なのですが

今日もまた新しい感じがあったので

311メモリアルとしてここにシェアします。

---

<OSHOとのダルシャン(面談)より> 

(1976年7月28日)

OSHO


(イタリアから来て、サニヤスを受けようとしている探求者に)


目を閉じて、もし何かが起こったらそれを許しなさい。


自分の内側で私のエネルギーを感じてごらん・・・。


※カテリーナは目を閉じて、1分から2分ほとんど微動だにせずに

坐り、その間にOSHOは彼女のサニヤス名を書いた。

OSHOはそれから、しばしペンシルライトを彼女の顔に当てながら

カテリーナを凝視した。


OSHO・・・これがあなたの新しい名前だ。


アナンド・サハジョ。


アナンドは至福を意味し、サハジョは自然に内から出て来るという意味だ。


内発性の至福。


そしてサハジョというのは、ある女性の神秘家の名前でもある。


偉大なインドの聖者、世にもまれな女性の神秘家のひとりだ。


私があなたにこの名前をあげるのは、絶えず内発的で


いなければならないということを、覚えていられるようにする為だ。


瞬間から瞬間へと生きなさい。


過去のことを考えたり、未来のことを考えたりしないこと。


両方とも存在しないものだ。


過去はもう去っている。


未来はまだ来ていない。


あるのは現在だけなのだ。


だから、現在の中にいることこそ唯一の在り方なのだ。


その瞬間に感応出来る状態でいなさい。


もし誰かが何かを聞いても、自分のマインドから答えないこと。


マインドは脇に置いておくがいい。


なぜならば、マインドというのは決して内発的ではあり得ないからだ。


そして内発的であり得ないものなど、あなたではない。


マインドを脇にのけると、あなたの内発的な実存が浮かび上がって来る。


だから一貫性などに構うことはない。


そんな必要はない。


あるひとつの人格を持つ必要などない。


人格というのは、過去が現在を決定するということだからだ。


自分は過去にあることをやって来た。


今、自分はそれと一貫していなければならない。


それが人格の何たるかなのだ。


社会は、あなたにも他のあらゆる人にも人格を持たせたがる。


なぜならば、人格を持った人間というのは簡単に操れるからだ。


人格を持った人間は予測可能だ。


内発的な人間は予測不能だ。


彼は根本的なところで自由なのだから・・・


次に彼が何をするかは決して分からない。


自分でも次の瞬間に何が起こるか予測出来ない。


もし次の瞬間に何が起ころうとしているか、自分が


何をしようとしているか分かったら、あなたはもうすでに死んでいる。


それでは、その瞬間は生きた、新鮮な、若々しいものではあり得ない。


あなたはもうすでに、それに対する構えを取ってしまっている。


だから何も用意はいらない。


ただ次の瞬間が来るのを待って、結果がどうであれ


自分の全体性(トータリティ)をもって感応するのだ。


結果を考えるということは、世間的であることだ。


そして結果を考えるのを止めることが、サニヤシンになることなのだ。


分かるかな?


それがこの名前の意味だ。


そして、それはあなたの名前になるだけではない。


それはあなたの実存そのものにならなければならない。


何か言いたいことはあるかな?


ラダ(通訳)・・・彼女はどのグループをやるべきか知りたがっています。


彼女は8月の10日までしかいられません。


カシミールの山に行きたいからです。


彼女は山に登るのが大好きなのです。


彼女はイタリアでも山に登っています。


彼女はとても達者な登山家なのです。



OSHO・・・私よりも大きな山は見つかるまい!


(笑)だが行くのはいい・・・いい練習になるだろう!


ラダ・・・延ばすことも出来るそうです。



OSHO・・・延ばしなさい。そうでないと、


早く山に来すぎたということになるだろう。


少なくとも1ヶ月ここにいて、私の何かを吸収出来るようになりなさい。


そうしたら私が山にのっけてあげよう。


何か他に言いたいことは?


ラダ・・・彼女は小さい頃から音楽を勉強していて、


大きなコンサートでオルガンを弾いて来ました。


けれども、今彼女の中にはある衝突があります。


それを続けるべきかどうか分からないのです。


OSHO・・・音楽というのは、絶対に


捨てるべきでないビューティフルなものだ。


それは一種の瞑想なのだ。


だからそれを捨てるよりは、むしろその中にもっと深く入って行きなさい。


私がその中にもっと深く入って行くのを助けてあげよう。


私にはどこに問題があるか理解出来る。


問題は音楽の中にあるのではない。


問題は「演奏家」でいることにある。


ラダ・・・彼女が言うには、自分の問題は


音楽の中で完全に自分を実現したいということだそうです。


そうすれば、もうこれ以上コンサートはやらないだろうと言っています。


OSHO・・・そう、私が言っているのはそれだ・・・。


「演奏」が問題なのだ。


世の中には本当のところ演ぜられ得ないものがある。


もしそれが自分の中の深いところにあったら、


ごく共感度の高い愛を持った聴衆が得られない限り、


あなたはそれを他人の前でやることなど出来ないものだ。


そして、そういう聴衆というのはなかなか得られるものではない。


公衆の面前でコンサートをやるというのは、


路上でセックスするようなものだ。


それはそれほどに親密なものであり、人は柔らかなハートを


あんな公衆の凝視にさらすなどということに戸惑いを感じてしまう。


ラダ・・・彼女は、自分が思う存分ほかの人達に音楽を


与えてあげることが出来ないことも問題だと感じています。


OSHO・・・それは可能になるだろう。


あなたが瞑想の中に深く入って行けば行くだけ、


音楽の質も変わって来るだろう。


あなたの能力も変わってゆく。


あなたは音楽の中にもっと根づいた感じになるだろう。


だから今の今はここで瞑想し、いくつかグループをやりなさい。


ここは音楽グループもあるから、それに参加してごらん。


そして、あれは演奏ではない。あれは瞑想だ。


(ラダに)そしていつか彼女はここ(ダルシャンの席)に来て、


演奏しなくてはいけないよ。


何でもやりたいものをやればいい。


とにかく彼女がどこにいるかを私が感じられるようにする為だ。


そして、ここで私の前で演奏する時には


(サハジョに)自分自身を完全に忘れてしまうことだ。



30分間、出来る限り深く入り込むがいい。


そうすれば、私はどこにブロック(エネルギーの滞り)


があるかを感じることが出来る。



それが分かれば打つ手もあるというものだ。 


Good サハジョ!

---生命の歓喜より

160311 OSHO.jpg
posted by TARA at 22:37| Comment(0) | OSHOの講話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする