OSHO禅タロット読み人TARAです。
昨日今日と2日間、タロット出張が続きました。
友達、知り合い、初めての方とご縁のあった方の
リーディングをさせていただきました。
私にも私の発した言葉が
還って来ていること
出逢ってくれた方の心が晴れて、
次の一歩が軽く踏みだせることに
ここはあえて言い切ってます^0^/
帰宅後に読んだ
OSHOの講話をシェアします。
奇妙で矛盾したことに
聞こえるだろうが、
平和は、
痛みのただなかに
見出されるものであって、
それはけっして、
ネガティブなもの、
痛みをもたらすものと見なされた
なにかと闘ったり、
それから逃げたりすることで
見いだされるものではない。
たしかに、
臆病さを自覚するのは痛い。
恐怖を自覚するのは痛い。
怒りを自覚するのは痛い。
これらはネガティブな感情だ。
だが、
平和が訪れるのは、
痛みを感じさせるものを受け容れ、
吸収することによってであり。
それを
拒絶することによってではない。
それを拒絶するなら、
あなたはどんどん小さくなり、
どんどん力を失っていく。
そして
内側での絶え間ない闘い、
絶え間ない内戦に
巻き込まれることになる。
そこで闘っているのは
右手と左手であり、
あなたは自分のエネルギーを
消耗させるだけだ。
これから言う
とても基本的なことを
覚えておきなさい。
心理的な痛みとの
交わりによってのみ、
それらの解放と超越の扉が開く。
心理的な痛みとの交わりが
唯一の手段だ。
すべての痛みを
受け容れなければならない。
それとの対話が必要だ。
それはあなただ。
それを超えるには
ほかの道はない。
それを吸収するのが唯一の道だ。
そして
それは途方もない可能性を
秘めている。
怒りはエネルギーだ。
恐怖はエネルギーだ。
臆病さもエネルギーだ。
あなたのなかに
起こることのすべてには、
大きな努力がある。
それは
大量のエネルギーを秘めている。
いったんそれを受け容れたら、
そのエネルギーは
あなたのものになる。
あなたはより強くなる。
より広大になる。
より大きな空間を
感じるようになる。
そのときあなたには、
より大きな内面世界がある。
これを理解しようとしなさい。
心理的な痛みは、
あなたが自分でこしらえるものだ。
臆病さは痛みではない。
臆病さがいけない、
臆病さがあってはならないという
あなたの考えだけが...。
痛みが起こるのは、
ある事実または
真実を前にして、
マインドが萎縮するときだけだ。
あなたは、
臆病さ、怒り、悲しみという
事実を前にして萎縮している。
萎縮してはいけない。
事実を前にして
萎縮することで痛みが生まれる。
自分の内側で
それを観察してごらん。
自分を
大いなる実験のための
実験室とするがいい・・・・・・。
人は
善悪を判断してはならない。
意識にあらわれたことがらに
ラベルを貼ったり、
そうしたことがらについて、
なにかの欲望や目標を
押し付けてはならない。
意識にあらわれることがらに関連して、
それを避けたいという気持ちや、
抵抗、非難、理由づけ、
歪曲、執着は、
まったくあってはならず、
かわりに
そこには無選択の気づきが
なければいけない。
そうすれば
自己との交わりが確立される。
無選択の気づき。
それはあなたの存在の内側の
神秘を空ける究極の鍵だ。
これは良い、
これは悪い、
とは言わないように。
良いというなら
執着が生まれる。
引力が生まれる。
嫌悪が生まれる。
恐怖は恐怖であり、
良くも悪くもない。
評価しないで、
ただそのままにしておきなさい。
そのままにしておきなさい。
非難も理由づけもなしに
ただそこにいれば、
その無選択の気づきになかで、
すべての
心理的な痛みは消える。
早朝の太陽に照らされて
水滴が蒸発するように。
あとに残るのは
純粋な空間、
汚れなき空間だけだ。
それこそが「ひとつのもの」、
それこそが「タオ」だ。
Osho - Unio Mystica