2015年12月22日

OSHOの講話⑤

タロットに聴いて心晴れるや♪
OSHO禅タロット読み人TARAです。

肉体をもったOSHOにお会いしたことはないけれど
なぜこんなに惹かれるのか・・・
前世なんらか修行をして、挫折したのかも・・・
と観じてます。
達成してたら、必要ないからね~

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弟子はつくられるものではなく、
人はそれにならねばならない。
あなたが誰かを愛するとき、
あなたは先に
その人に尋ねるだろうか? 
あなたは先に
その人に許可を求めるだろうか? 

愛はただ起こる。
愛はどんな規則にも従わず、
許しなど乞わず、
どのような様式や方式も信じない。

弟子とは何だろう?
それはもっとも高く、
もっとも深い愛の名前だ。

もし、
あなたが私を愛したいなら、
どうして私に
あなたを止められるだろう? 
もし、
あなたが私を愛するあまり
涙を流すなら、
どうして私に
あなたを止められるだろう? 
そして、
あなたが私の言うところの
瞑想に飛び込むのなら、
どうして私に
あなたを止められるだろう? 

弟子になりたがっている人を、
誰も止めることはできない。
そしてそれが、
誰かを弟子にするために
かつてあった
すべての形式を
私が廃止した理由だ。
なぜなら、
今は自分から進んで
私のところにやって来る人たちだけを
欲しいからだ....
他の道筋を
通ってくるのではなく。
今やすべての責任は
あなたにある。

例えば、
私たちは一年生に教える。
AはアップルのA、
GはガネーシャのGと。
実際には、
以前Gは
ガネーシャ“Ganesh”のGだったが、
今ではガッダ“Gadha”、
つまりロバのGだ。
それはインドが非宗教国家だからだ。
だから教科書に
ガネーシャ神の名前が出てくるのは
適切ではないというわけだ。

しかし、
ガネーシャもガッダも
Gとは関係がない。
それはただ幼い子どもたちを
教えるためのやり方にすぎない。
子どもはガッダやガネーシャの方に
より興味を持つ。
彼はGという文字には興味を示さない。
だが、徐々に、
ガッダは忘れられ、
ガネーシャも忘れられ、
Gだけが残り、
Gだけが使われるようになる。

もし、
あなたがAはアップルのA、
GはガネーシャのGという読み方を
し続けていたら、
あなたが大学に入るころには
勉強する機会がなくなってしまうだろう。
ひとつの文章を読み切ることさえ
不可能になる。
しかもそれを読み終えてから、
その意味が何であるかを
理解することは
難しくなるだろう。
なぜなら、
その文章のなかに
ロバとガネーシャとマンゴーが
いったいいくつ出てくると思うかね?

幼い子どもたちの教科書には
挿絵がある。
カラーの絵、大きな絵、
そして文字は少しだけだ。
そして学年が上がるにつれて、
絵は小さくなっていき、
文字の数が増えていく。
少しずつ、
絵はすっかり消えてなくなり、
文字だけが残る。
大学のクラスでは、
絵はなくなり、
アクシャル“akshar”、
文字だけだ。

私たちの言語である
このアクシャルという言葉は
またとても愛らしい。
それは、
決して破壊されないものという意味だ。
つまり、
ガネーシャは破壊されうるし、
ガッダは破壊されうるが、
アクシャルは必ず残る。
それが滅びることはない。

だから、
始めた頃は、
私は人びとを弟子にするために、
サニヤスへと
イニシエートする必要があった。
しかし、
いつまでガッダとか、
ガネーシャとか、
アップルとか、
パイナップルとかの
ジョークを言っていられるだろう? 

今やサニヤスは成熟した。
今や形式は
重要な地位を占めていない。

これからは、
あなたが愛のなかにいるのなら、
弟子になりなさい。
それは話題にすることですらない。
今や、
誰かに知らせる必要すらなく、
サニヤシンになりたいと感じたなら、
なりなさい。
今や、
すべての責任はあなたにある。
これは成熟の証だ。

いつまで私はあなたとともに、
手を繋いで歩き続けられるだろうか? 
私の手がもがれる前に、
私の方から
あなたの手を放さねばならない。
そうすれば、
あなたはあなた自身の足で立ち――
あなた自身の手を頼みとし、
あなたの責任に基づき――
歩くことができる。

いいや、
だからといって、
あなたが弟子になるのを
やめる必要はない。
また、
誰もあなたが
サニヤシンになることを止められない。
だが、今や、
それはあなたの内なる渇きと
呼びかけによって、
あなたがひとりで決めることだ。

私はあなたとともにあり、
私の祝福はあなたとともにある。
だが、
今や私は
サニヤシンになることについて
説明しないし、
瞑想するように
言わないだろう。

今や、
私はただこれだけを説明する。
瞑想とは何か。
たったこれだけで、
あなたのなかに渇きが
呼び覚まされるなら、
瞑想しなさい。

今や、
私は愛しなさいと
あなたに言わない。
今では、
私はあなたに愛と
他のすべてのことを述べるだけだ。
あなたのハートのなかに
歌がわき起こらないのなら――
ユニークで神秘的な
愛についての説明を聞いてさえ――
それを命じたとしても、
あなたからは何も出てこないだろう。

そして、
もし歌がわき起こってくるのなら、
与えるとか受け取るとかの問題ではない。
あなたは弟子であることができるし、
あなたは瞑想することができる。
あなたはサニヤシンになれるし、
あなたは光明に達することもできる。
あなたはかつてモクシャ、
究極の解放と呼ばれた、
この生の究極の宝物を
得ることができる。

しかし、
今ではあなたが
このすべてをやらなければならない。
誰かがあなたを後押しする時代は去った。
今や、
あなたはまったく自由だ。
あなた自身の願望、
あなた自身の歓び、
あなた自身のエクスタシーが
決定要因になる。

Osho - The Diamond Sword
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posted by TARA at 01:08| Comment(0) | OSHOの講話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月21日

プティクリフさんでの出店

タロットに聴いて心晴れるや♪
OSHO禅タロット読み人TARAです。


12月19日は、

久万高原町のプティクリフさんへ。

今年タロット読みを始めるきっかけをいただいた

スイーツ&cafe♪

店内は久万高原町の木でつくられたオリジナルグッズが

沢山ならべられていました。

151219 プティクリフさん (3).JPG

この日は

「気になること」

というよりは

「2016年に向けて」

として2件長めのリーディングがありました。

1年という自然サイクルと

人の意識発展サイクルのようなものは

変わってきて早まっているような今。

見つめるところをセットしたら

一気にGO♪な時だし、

勢いがある時と思われます。


マヤの神聖暦ツオルキンは

20日にKIN1へと新たなサイクルへ。

明日の冬至で一足早く

太陽と地球との関係性ははじまりへ。

グレゴリオ暦の新年はもうすぐ。


タイミングがあえば、ソロ出張もできます

気になる方はお知らせください^0^


ショーウィンドーのケーキは

イチゴが華やかにきらめいていました。

151219 プティクリフさん (2).JPG

久々なので、イチゴが沢山のショートケーキを

クリスマスケーキを先取りした感じで

おいしくいただきました♪

いつもリッチな空間です

151219 プティクリフさん (1).JPG

posted by TARA at 23:00| Comment(0) | 出店記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月16日

OSHO禅タロット記念日

タロットに聴いて心晴れるや♪
OSHO禅タロット読み人TARAです。


どうやら3年前の今日、2012年12月16日は

OSHO禅タロットが届いた日。

151216 OSHO禅タロット.jpg

FBに自動で過去記事がアップされ、気づきました。

タロットを手にしてから、

1枚引きをして慣れてきたころの

2013年の春、

ホーム的マルシェ・丘の上の日曜市で

同時出店として1枚引きを始めて。

その時はまだまだ解説書を読んだりの~笑

投げ銭とはいえ、振り返れば大胆な出店でした~。

もっとリーディングを深めたいと

横浜にタロットのセミナーを受けにいったのは

2013年7月28日かな。。。

それから、いろんなマルシェに同時出店を続けて

さらなるチャレンジにと、

路上詩人的にどこかでできないかな~と

おもっていた今年の1月のおわりから

久万高原町のプティクリフさんに

快承いただいて、単独で座らせてもらうように。

カードは雨とすこしの風にも弱いので

この辺から出張や出店は室内を優先させていって

春ごろからチャイハネさん、

夏からマルオーさん、

秋からコゴマフキンさんと

ちょっとずつ定期で出張できるところが

増えてきた今です。

「好きだから」

「すごいから(カードが)」

「楽しいから」

という原動力に支えられ

ご縁でであった素敵でユニークなお店に支えられ

タロット読み人になったことは

2012年冬至の一番の大きな出来事だな~。

ご縁のあったみなさんに感謝∞です。

常に溢れている豊かなOSHOの叡智にも。。。♡


posted by TARA at 22:49| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする