2026年12月31日

◆1/12◆ソロ対面セッション&出店・出張予定◆

*こちらはTOP固定の総合infomationです*
サロン出張・イベント出店情報
 &ソロ対面セッション可能日は
◎印の日
  スクロールして下段をご参照ください☆彡
  週末の「ー」は、近くなってから「◎」へ変更もあり

 2024冬369.jpg

★1月(~1/28迄
   【369に聴く♪祭り】開祭中✨)


12日pm◎
13
14🌕サロン出張@伊予市・ミュゼ灘屋さん
   ⇒ 詳細はこちら♪

    タロット出張ミュゼさん250114.jpg 
15水◎
16木◎
17金◎
18土◎
19日◎
20月◎
21火◎
22水◎
23木◎
24金◎
25土◎
26日◎
27月◎
28火◎
29🌑🎍
30木◎
31金◎

★2月

1 土
2 日節分
3 月立春
4
5 水
6 木
7 金
8 土
9 日
10月
11
12🌕
13木
14金
15土
16日
17月
18
19水
20木
21金
22土
23㊗
24振休
25火
26水
27木
28🌑

★3月
1 土
14🌕
20
29🌑


◆ソロ対面セッション◆

◎どこで?
内子のcafeで読んでいます。
町外や遠方への出張も可能です。

◎いつ?
10時~16時くらい
17時以降も調整可能です。

人生の節目、ご自身の変化のタイミング、
ふっと思い立った時、ひらめいた時などに
ご利用・お問い合わせください♪

◎セッションメニューは?
 70分「お任せで聴く♪」~
 おすすめは90分「メタトロンに聴く♪」 
 ⇒ メニューはこちら♪


◆電話(SNS無料電話)セッション◆
 
 お電話しながらタロットを読み解きます♪
 地球上のどこからでも可能。
 お支払いはタロット後のお振込みにて。

◆遠隔で聴く♪セッション◆
 
 お互いの時間を合わせなくてもOK
 taraが代引きしてお伝えします。
 メール,SNSなど文字通信がメインです。
 ⇒ メニューはこちら♪


◆私に聴く♪タロットリーディング講座◆
 
 ◎自分自身でメッセージを聴いてみたい方
 ◎OSHO禅タロットを持ってるけれど
  使い方がわからない、なじめていないなど
 
 私を深めるツールとしておススメ!
 使ってみませんか? 
   ⇒ ご案内はこちら♪


◆FBページ:「タロット読み人Tara」
 最新情報やOSHOの講話のシェアを
 お届けしています。


 新ブログ名刺.jpg 
posted by TARA at 23:27| Comment(0) | メニューやINFO | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年01月07日

2025/1/14望・ミュゼ灘屋さんにて出張サロン海岸への小径ヒラキます

出会えた時空間が一期一会サロン
~ 海岸への小径 ~
タロット読み人TARAです。


G暦明けましておめでとうございます

今日7日は雪が待っています。

本格的に寒さは増してきているものの、

少しずつ日の出~日の入りの時間が長くなってきて、

年末よりもなんとなく気持ちが軽くなっているのでは

ないでしょうか?

地球と太陽とのつながりの暦ではまだ師走

旧正月までにゆっくりと私自身に向き返っておきたい時。

今冬は雪が積もりそうにないので

師走望🌕の日に、タロットサロンをヒラキます

  タロット出張ミュゼさん250114.jpg

ふたつの極は冬至から反転して

陰から陽へと動き出しました

静かに内を見つめながらも

旧正月・節分・立春と光が増えて

開いていく流れのなかで

タロットセッションで見えない私からのメッセージを

受け取ってください🎁


★☆ とき ☆★

 1/14(火) (師走15🌕) 

 KIN191 青い太陽の猿の日

kin191.jpg


 ①13:30~ ②15:30

(*③11時~午前中枠可能です。ご相談ください)


★☆ ところ ☆★

 まちの縁側 『ミュゼ 灘屋 』さん

       愛媛県伊予市灘町123

 駐車場:ミュゼさんの裏手のPか営業時間以外は

 伊予銀行・愛媛銀行さんの駐車場も可能です。



★☆ おススメ🌟メニュー ☆★

 🌠「メタトロンに聴く♪」🌸90分

 ◎神聖幾何学模様のメタトロン・キューブの形に
  配置して読みます。

 スピリチュアルな覚醒への助けと導きは内側にある♪

  8500縁(A4レポート込み)
  9500縁(A4レポート込み)

  *くるくるカード使えます* 

     
 🌠「369に聴く♪」🌟70分+α

 ◎9枚のカードを使って読みます。宇宙との
  絶対的な調和へのヒントが浮かび上がる♪

   7500縁(A4レポートなし) 
  🈹8200縁(A4レポート込み)

  *🈹は1/28までのタロットフェス中です
   くるくるカードとの併用はできません*

   2024冬369.jpg


 🌠「お任せで聴く♪」🌟70分/90分


 ◎上記以外のメニューで読みます
    70分 7500縁(ショートメッセージ付き)
    90分 8500縁(〃)

   *くるくるカード使えます* 


 そのほかのメニューは ⇒ こちら♪
  

 巳年=蛇年なので

 脱皮の年となりそうです・・・が

 リフレッシュというよりも

 変容くらいの違いが起きるかも

 種から花へ

 芋虫から蝶へ

 混沌に恐れすぎず 飲まれずに

 生まれ変わっていく・・・🌻🦋

 
 初めましての方も、久しぶりの方も

 タイミングばっちりの方を
 
 一期一会にお待ちしています^人^🌟


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posted by TARA at 11:19| 出店情報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年12月29日

OSHOの講話 72


  B14.jpg
三つの基本原理がある。
ひとつめは、
あらゆるものが相互に依存し合っているということ。
二つ目は、
生は両極に分かれていて、この両極は
反発するのではなく互いに補い合うということ。
三つ目は、
それぞれの内に両極が含まれており、
単極で存在するものはないということ。

インドには
アルダナーリシュヴァルという概念がある。
これは道家のアプローチに相当するものだ。
シヴァ神は男の半身と女の半身の両方をもつ者として
像に刻まれたり、絵に描かれたりしている。
彼の半身は男性であり、半身は女性だ。
これらの像が西洋人の目にはじめて触れたとき、
彼らは笑った---
それはとても馬鹿馬鹿しいものに見えた。
この像は何を意味しているのだろう?
今では西洋人たちもその意味を理解している。
それは生の最も基本的なことがらのひとつだ。
あなたがたもそうだ。
シヴァ神と同じように、半分と半分だ。

これらの経文は、この内なる極性に関わっている。
そしてこの内なる極性を越えてゆかないかぎり、
あなたは一なるものに達することなく、
二つに分かれたままだ。
二十四時間のあいだに、あなたは
ひとつの極から別の極へと何度も移り変わる。
見守ってみるがいい。
あなたは男かもしれないが、
ひじょうに女性的になり、
すぐに傷ついてしまうときがある。
あなたは女かもしれないが、
日中にひじょうに男っぽくなるときがある。

女性が男性的になるときには、
彼女はこのうえもなく攻撃的になる---
男がとても太刀打ちできないほど攻撃的になる。
それは女性の攻撃性が、
人が手をつけていない原野のように、
ごく新鮮で、使い古されていないからだ。

そして、それは男の場合にも当てはまる。
男がやさしくなるときには、
彼は本当にやさしくなる、
女よりもやさしくなる。
なぜなら、それは原野であり、
彼の実存のその部分は使い古されていないからだ。
それは新鮮で、ひじょうにいきいきとしている。
だから、あなたがもう少し注意深くなれば、
この奇妙な現象を何度も何度も目にするだろう。

女性は概して愛情に満ちているが、
男性は概して冷淡だ。
女性はまれにしか言い争うことはないが、
そうするときには徹底している。
男が愛情深くなることはめったにないが、
そうなるときには徹底している。
それは彼らの実存の使い古されていない部分だ。
それらが使われるときには、みずみずしさがある。

この内なる極性ゆえに、
人は一種の苦悶、葛藤のなかに置かれているが、
人はそれなくしては存在しえない。
<一なるもの>は不可視のままだ---
神が目に見えないのはそのためだ。
目に見えるものとなるため、
<一なるもの>は
二つにならなければならない。
黒板に白いチョークで書かなければならない。
そうしてはじめて
これらの言葉は目に見えるようになる。

存在するために、人はコントラストを必要とする。
昼間は星が見えず、夜間に見えるのはそのためだ---
夜の暗闇が背景となっている。
昼間でも夜と同じ数だけ星はある---
星はどこかへ行ってしまうわけではない、
どこにもゆくはずがない。
星は同じ位置にある。
夜になるとやってきて、
昼になるとどこかへ姿を隠すというわけではない。
星は同じ位置にあるのだが、
昼間はコントラストが欠けている。
だから星を見ることができない、
それは目ではとらえられない。

神は不可視だ。
神は二つに、男と女にならなければいけない。
物質と精神にならなければいけない。
肉体と魂にならなければいけない。
これとあれにならなければいけない。
二つのものだけが目に見えるからだ。
世界は”二つのもの”から成り立っている。
世界は二元的だ。

  B2.jpg

この二元性を
<一なるもの>のなかに消し去らせることができるなら、
そのとたんに、あなたは目に見えなくなる。
この言葉には深い含みがあるが、
それはあくまでも隠喩だ。
老子の姿が見えなくなるとか、
私の姿が見えなくなるという意味ではない。
あなたがたはずっと私を見ているが、
それでもこの私を見てはいない。
その部分は不可視のものになっている。
内側では両極が消え失せ、
二元性はもはやそこにはない。
二元的なものだけが見ることができる。
非二元的なものは目に見えなくなる。

神は二つにならなければならない。
そうしてはじめてゲームが、遊戯が可能になる。
古代インドの聖典には
「彼は深い孤独を感じた」
と書かれている。
「彼」とは神のことだ。
彼は深い孤独を感じた。
彼は他者に恋い焦がれ、そのために二つになった。
彼は男と女になり、
雌牛と雄牛になり、
そしてその分裂が延々と続いてゆく。

森羅万象のすべてが性的だ。
「性的」という言葉で私は二元性を意味している。
森羅万象のすべてが性的だ。
いずれ科学は、男の惑星があり、
女の惑星があることを発見するだろう。
そうであって当然だ。
古代の占星術はそう言っているし、
私はそれにまったく異論がない。
あらゆるものが二元的だ。
太陽が男性の象徴とされ、
月が女性の象徴とされるのはそのためだ。
それは詩ではない。
それは事実だ。
科学はまだそれを発見していないかもしれないが、
そうであるにちがいない。
あらゆるものが二元的だとすれば、
例外などひとつもありえない。

女性あるいは男性に惹かれることで、
人は人としての姿を取り続けている。
さあ、
これでなぜ、いつの時代にも偉大な神秘家たちが
性超越の方法を説いてきたかが理解できるだろう---
性を超越しないかぎり、神への参入は起こらない。
性を超越しないかぎり、けっして”二”の超越は起こらない。
人は二元的な世界につながれたままだ。
”世界”とは姿を顕した神のことであり、
”神”とは再び姿を潜めた世界のことだ。
それもまた二元に---
姿を顕した状態と姿を潜めた状態に分かれている。
キリスト教神学の見解はあまり深くはない。
それはきわめて表面的だ。
キリスト教神学には創造しかない。
破壊はどうなるのだろう?
破壊なくしてどうして創造がありえるだろう?
東洋の神学にはその両方がある。
スルシュティは創造を意味し、プララヤは破壊を意味する。
神が姿を顕す瞬間があり、神が再び姿を潜める瞬間がある---
最初に語ったように、
人間と同様、
あらゆるものが<無>のなかに消えてゆき、ゼロになる。

恋人とともにいると、人はうんざりして、
瞑想をしたくなり、ヒマラヤへ行きたくなる。
神もまた世界にうんざりしてしまう。
それは自然のなりゆきだ。
神は休息を取りたくなる。
そこで神は<一なるもの>のなかへ消えてゆく。
続いて溶解が起こり、
あらゆるものが消え失せてゆく。
だが人はいつまでヒマラヤの洞窟に座っていられるだろう?
神ですらうんざりしてしまう。
神は再び相手を探し求めだし、創造に着手する。

それとまったく同じことが
ひとりひとりの魂のなかでも起こる。
あなたは生を生き、疲れて、生を離脱したくなる。
あなたは肉体を使って生きてきたが、疲れてしまっている。
あなたは今度は肉体を超越したくなる。
そうなったら、あなたはなぜ私が
「世間を恐れてはいけない。
 世間から逃避してはいけない」
としきりに言うのか理解できるだろう。

なぜなら、
世間こそ真の放棄が起こる場所に他ならないからだ。
それは一方の極だ。
私が
「女性あるいは男性から逃げ出せ」
と言わないのはそのためだ。
逃げ出したら、思いは消えずに残る。
逃げてはいけない。
それをとことん生き抜くのだ。
世間にどっぷり身を浸していると、
「もう充分だ、消え去って
 完全な孤独のなかに入ってゆきたい」
という感覚が起こりはじめる。
人は本当に疲れ果ててはじめて
完全な孤独のなかに入ってゆくことができる。

人々はきっと私を誤解することだろう。
インドで私ほど誤解されている者はいない。
彼らは私が人々に耽溺することを教えていると思っている。
私は放棄を教えている。
彼らは私が世俗的なサニヤスを教えていると思っている。
彼らは理解していない。

私が教えているのは真のサニヤスだ。
真のサニヤスは
世俗的な経験を経てはじめて生まれてくるものだからだ。
真のサニヤスはヒマラヤの洞窟のなかでは起こりえない。
それは本物ではなく、押しつけられたものだ。
人は深いところでは世俗的なままであり、
世間にあこがれ、世間を夢見続けている。

世間を生きなさい。
とことん生きなさい。
そうすれば、うんざりし、疲れ果て、
あなたは世間にけりをつける---
とことん生きれば、ある日突然、
世間はいっさいの意味を失い、放棄が起こっている。

  B11.jpg

私にとって、真の放棄は
俗世の只中マーケットプレイスで起こる、
俗世の只中においてはじめて起こる。




posted by TARA at 10:44| OSHOの講話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする